いわゆる情報発信に思うこと

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今の世の中では、あらゆる宣伝媒体を使ってPRすることが、特に物販業界では当然のことです。

高齢者でもスマホを持つ時代です。老いも若きもインターネットで何でも検索したりするのが常識であることは疑いがありません。

私が銀座に店を開設したのは2001年の2月でしたが、いきなり天から降ってきたようなお話で、ほとんど名の準備もないままにまさに徒手空拳でアンテナショップを開いたわけです。

もちろん信念があっての行動で、取引している銀座の専門店が確実に倒産することを見越して、生産維持のためにも、かつ自らもこだわりを正しく伝えるためにも、自分で売ることが正義だと思ったのは確かです。

ただ開設当時はまだ卸業として銀座の専門店とも取引が継続中でしたので、その店のお客や社員を取るということは断じてしませんでした。

ですからいかにして、店の存在を知らしめるかということが問われたのです。

キモノ雑誌に広告を打つこともはばかられましたし、第一その費用もバカになりませんので、開設から3年は赤字を覚悟していますから、できるだけ費用は抑えたかったのです。

それですぐに取り組んだのがHPの作製でした。たまたま銀座の店のすぐそばに沿いうことを仕事としているところがあって、すぐに依頼し、4月から運用を始めました。

そのなかで、まさに色々とキモノだけでなく、京都のことや、幅広く文化の話などを、確実に更新してしながら私の言葉で語って行ったのです。

文化は政治に非常に影響を受けますから、当時の小泉無教養政権と無能の三流経済学者のことなどのこともかなり批判的に書いたものです。
当時のサラリーマンの友人たちは、理念なき規制緩和になんの疑問も覚えず、私を批判していたりしたものですが、まあそれは文化というものへの教養がなく先を見る目がないので何もわからなかったのです。

ところが現実は後に色々な問題が噴出して、私の言ったことが正しかったと謝っていましたね。

私は零細企業者として常に先を見る目を問われていましたから最低5年先から10年先を考えて行動してきたつもりです。

そうした考えも積極的にブログなどでも書いてきましたが、残念ながらネガティブな予想はほとんど当たってしまい、キモノ業界の生産現場は、とんでもないことになってしまいました。

我々零細企業者のHPで大事なことは、その店の特徴を、口コミも大事ですが、店主自らが語ることではないかと思っています。

割烹料亭の花板を自ら務めているという自負があるなら、どんな稚拙な言葉遣いでもいいですから、心からの声で話すように書くことです。

私の書き方は常にそうですが、ちょっと筆が滑ることがあるのは不徳の致すところではあっても、私がどんな思いで仕事をしてきたかはよく理解していただいていると自負しております。

ネット社会の中で、そう大きな経費を掛けないでもかなりのPR効果が見込めるHPの活用はある意味常識ですが、問題はどんなに格好の良いHPでもコンテンツ、中身が陰弱では意味がありません。

何か特徴を出すことですが、私の場合は私の発する言葉でした。

まさに多岐にわたって、単に店のPRだけでなく、キモノ業界の現実、実情の情報、産地の苦境などを訴えてきました。

そうしたことで、少しずつ店においでになる方が増え始めて、現在毎月のように新規客がお見えになりますが、ほとんどがこのブログか、毎日投稿しているフェースブックで、私、そして私の店のことを知った人たちです。

キモノ業界で言えばこの情報発信に真剣に取り組んで、かなりなお金を投じているところにはやはり人が集まっていますが、HPひとつもなく、あっても更新もしないというのも、いかがなものかと思います。

物販業で大事なことは新規客をいかに獲得していくかと言うことです。

旧来の客や口コミだけに頼っている受け身の経営は、この時代必ずじり貧となるでしょう。

なかにはネットでの情報発信を非常に怖がっているところもあります。

どんなレベルのお客かわからないお客に、年間の重要な展示会に来てもらうのが不安だというところを知っていますが、理解に苦しみます。

キモノ難民と称して、どこで買っていいのか情報を必死に求めている人たちは相当にいます。
だからいいものがそろっているのだという自負があるのなら、それを新しいお客に見てもらえるよう努力するのは当然だろうと思います。

確かに色々な人が私の店にも来ます。非常識な人もいるのは確かです。
でもそれを恐れていては新規客の獲得はできません。

ネットでの情報は量も大きなファクターで、多くの情報をアップすればするほど、色々な検索ワードにかかりやすくなります。

店主自らの発する言葉というのがやはり一番キモノ業界では有効だろうと思いますし、
ぜひともそうした発信にこれからも相務めていただければ、必ずやお客が増え始めることだろうと確信しています。

私も少し限界を感じることはありますが、多くの情報を発信することが世のためにもなるという思いもありますので、これからもできる限り色々な話を書いていきたいと思っています。

何も変わらない

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京都の帯のブローカー問屋が破産したというニュースが飛び込んできました。

かつて大変有名な帯の専門問屋が、バブルはじけた後の極めて放漫で、無策の経営の前にあえなく破産したのですが、その時の社員でデパート係だったものが、デパートに口座をもらい、織屋の協力を得て、ブローカー的な商いをしていました。

ほとんどメーカーからの借り物で商っていますし、相手はデパートで支払いも良いので、真面目にやっていれば潰れるなどありえないのですが、代表者は私と同じくらいの年齢で、ここのところの市況悪化で、辞めたかったようですが、実体のないものに給与を出したり、極めて計画的な倒産ではないかともいわれています。

現在の破産法では、厚生年金などは守られているので、仕入れ先に多大な迷惑をかけても、本人は普通の生活ができてしまいます。

かつては破産させれば、代表者は相当に個人保証をさされていましたから、家屋敷も取って行かれ、下手をすれば路頭に迷うのですが、そういう経営センスのない無能にもかかわらず再起を目指させるということで、かつての債務がチャラになってしまうような理不尽な法律は、正直者が馬鹿を見るだけです。この業界に限っては無能ばかりで、再建したなど近年聞いたこともありません。

作り手の応援あってこその会社だったはずが、多分途中から自分たちが売ってやっているのだという驕り高ぶりがあったのではないでしょうか。

真面目に必死になって働いていた社員も青天の霹靂だったそうで、情けない逃げ方です。

今から20年くらい前から10年間ほど、老舗、名門と言われたような問屋や小売店が次々破綻していきましたが、極めて放漫な経営で、というより経営以前の問題で、まさに噴飯物の倒産劇が続きました。

その当時多くの仕入れ先が被害に遭い、連鎖倒産したところも数知れず、そこの社員だった男がまた再び潰れた本家と同じようなことをするというのは、まさに何の勉強もしていなかったということでしょう。

本家がなぜ潰れたのか、どうすれば潰れなかったのだろうかというケーススタディをすれば、見えてくるものがたくさんあったはずです。

経営者の資質が一番問われるのはピンチの時です。

右上がり経済ではだれが社長をしても儲かりますが、問題は業績が右下がりになってきた時で、そのために何をしたらいいのか何をしてはいけないのかというのは、歴史に学べばいいのです。

そして先人が何をどんな時にしてきたかという中にヒントがあるはずなのです。

先を読むことがトップの仕事なのですが、まあ政官財とも目先しか見えない無能ぞろいですから、キモノ業界にそんな見識ある人材が育つわけもないかもしれませんが、長い長いモノづくりの歴史が途絶えるかそうでないかは、消費者との仲立ちをする売り手にかかっているのは紛れもない事実です。
メーカーを助ける肚のあるものもいませんし、メーカ自身が消費者に向かっていくしか道はないと思います。

本当に何も変わっていないと暗澹たる気持ちになった嫌な日でした。

紬が売れない?

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私は若い頃、業界の当時若手のリーダー的存在だったある青年会で活動しておりましたが、その当時の後輩などが、結構みんないい年となって、跡継ぎとして活躍しております。(倒産したり廃業したところの方が多いですが)

当時構築した人的なネットワークが私の財産です。彼らの人間性も知っているので、本当にまじめな人たちだけと今もおつき合いをしております。

そんな中に紬問屋の社長もいますが、過日四方山話をしていたら、最近地方の呉服屋が

急に紬が売れない、売れない、これからはまたフォーマルだなどと言っているそうで、奇異な思いをしました。

ここ10年ほどフォーマルが売れない売れないと言って、やれ普段着だ、洒落着だと言って、今まで扱っていなかった紬などを主力に展開するところが増えたのは確かです。

しかし地方都市にはなかなか普段着を売る素地がありません。
お茶のお稽古など伝統的な日本文化に携わる人たちの需要か、婚礼が主ですので、
紬を一生懸命売ろうとする呉服屋の不明に呆れていました。

フォーマルを扱わなくなって、在庫もほとんどありませんから、問屋に電話して借りるだけのことで、そんなことで良いものが集まるわけもなく、結局店外催事で私など見ると目が潰れそうな、センスのないものを作家ものだと称して飛んでもない値で売りつけていました。

しかし地方にも目のある方もおられますし、そういう方がネットなどで私を探され、銀座の私の店に高級フォーマルをお買い求めにおいでになります。
今や銀座といえどもそういうものを置いているのは当店ただ一軒ですし、おいでになった方は私のセンスをお褒め頂き、まず間違いなくお買いになります。

地方の方は紬などをあまりお持ちでなかったということはあるでしょうから、ここのところ売れていたのかはどうか知りませんが、結局着て行く場所がないので、買わなくなったとか、小売屋も調子に乗って、たかだか普段着なのに手描き友禅よりも高い値で売りつけて来たことの報いもあって、地方で紬が売れなくなったということでしょうか。

当店は泰三のアンテナショップですから、私が作っていないものはないわけです。
しかしいわゆる一般的な呉服屋を標榜する限りは、晴れの席、褻の席問わずキモノを着るシーンに対応できなければなりません。

ですからフォーマル、カジュアル問わず、自らの好みを発信するのが仕事ですが、偏った商いをするから行き詰まるのが分からないのでしょうかね。

確かに高級フォーマルの製造は極端に細り、式服を貸し衣装で済ませる人も増えているので、益々黒留袖などの高級品など、貴重なものとなってきました。

銀座の私の店にあるものも今やお宝級となっていますが、私もそう長くは作れないという物理的な事情などもあるので、今あるものは早い者勝ちでいずれ買おうと思っておられるなら売約にされないと無くなっていくというのが実情です。

いまさらフォーマルを売ると言っても在庫もないのに電話一本で問屋に注文出しておいしい商いをしようなどということでは、売れるわけもありません。

自分がキモノが好きなら、自分の好きなものを仕入れ、それをお客様に提案するという基本が全く今は抜けていますし、これからいったい何を売って行ったらいいのかなどということ自体が本当はおかしな言い方なのですがね。

その紬問屋の社長が嘆くには、銀座のある店が紬を売ると言っても作家もので高いものでなければ扱わないといわれ、その会社がより多くの人にお洒落な紬を着てほしいという思いで、それほど高くならないオリジナルのお召しを作らせているのに、それを扱ってもらえないとぼやいていました。

私はモノづくりをまじめにする人、それをまっとうな値でまじめに販売する人は応援しますが、名前があっても粗悪なものを平気で作るような見識のない作り手はいくら人間国宝であろうがなかろうが忌避します。

売れれば、もうかれば何でもありというのは真面目な老舗のメーカーなどが一番嫌がります。
でも中には自ら安物屋へ急降下して、ろくでもない流通でとんでもない値で売っているところもあります。
まあ生き様というか、見識、理念の問題でしょう。

紬が売れないということは無いけれど、そればかり売っていたら、それも既存のお客ばかりに提供していたら詰まるのは当たり前です。

新しいお客を開拓する努力と、作家名などに頼らない。自らの目利きで商うという姿勢があれば、ずっと販売できると思いますがね。

本物の発信

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11日から今河織物さんの「木屋太」というブランド名で展開されているお洒落なお召しの作品展を開催させていただくのですが、一言にお召しと言っているメーカーの中で、真にお召し緯(右撚り左撚りの超強撚糸)を使っているところは、西陣でもたった2.3軒だと言われています。
他産地の中には、お召しと称してはいても、西陣から見たら足下にも及ばない低品質の糸を使い、かつ甘い織組織なので、お尻のところがよく割れるものがあります。
これを業界用語では滑り、あるいはスリップと言いますが、織物を作るところにとっては非常に恥ずかしいことなのです。

名のある紬作家のものはしょっちゅうスリップするというのは有名ですが、知らない消費者は、その名前に泥を塗るような低品質な物作りが理解できません。

我々まじめな高品質な物づくりをするところは、見えないところにお金をかけて真の高級品を作っていますが、作家ものと称するるものの中には逆に手を抜いて、低品質のものをとんでもない値で売りつけている輩がいます。
高級なものだから結婚式に着ていっても良いとなどとほざいてるそうです。

こうした噴飯物の物作りをする輩をよいしょする流通業者の見識のなさが、結果的に消費者に損を与えているのです。

世間に認められるような名をもらったら、それからが恩返し始まりが人生です。

名に恥じないまじめな物作りをしてもらいたいのですが、馬鹿問屋の要求があちこち来るから、弟子にバカバカ作らせて判子だけ押すような始末です。
あげくの果ては作りすぎてバーゲンに出ます。

作るほうもつくるほうですが、売り手の教養のなさは半端なレベルではありませんので、何が本当に良い物かなどほとんど何も分かっていない売り手が激増しているのです。

私の業界の後輩の紬問屋の社長は、もっと真に紬を普段着として着て貰いたいからという思いで、小売価格が20万するかしないかというオリジナルな織着尺を開発したのに、銀座のある紬をよく売る店は、高く売れる作家ものの紬しか扱わないと言っているそうで嘆いていました。

近いうちに私が発信させて貰おうと思っていますが、自分のことしか考えない、消費者にとって何が必要かなどどうでも良い、売れれば何でもありという呉服屋が多すぎます。

自分で着もしない、買ったこともない輩では、またその背景の日本文化など何も知らない連中では、目先売れるもののことしか考えていませんので、粗悪なものを高く売ろうが、なんの恥も感じません。

もちろんまじめなところの方がまだまだ多いのですが、ろくでもない輩ほど口がでかくて、結局みんなだまされてしまいます。

こんなつまらないことを業界人として恥ずかしくもずっと言い続けていても、何も変わりません。というより以前よりますます輪をかけてひどい状況です。

キモノを勉強もしないで、作ったり売ったりできるという素人業界に成り下がったキモノ文化の低質化を防げるのは消費者なのですが、今の現実では歯止めになりません。

キモノのことをよく知る先達が周りにいれば良いのですが、必ずしもそうではありません。
浴衣の出来損ない程度のキモノしか作れないものが大きな顔をしているというのも、ネット社会ならではなのかもしれません。

私は年齢から言ってもそう長くはできませんし、残された短い時間で、本物を伝えておかねばならないという思いが、年々募ります。

今東京国立博物館で「茶の湯」というテーマで、いわゆる大名物、名物、中興名物と呼ばれる、焼き物を中心の名品の数々が展示されていますが、数百年の時を超えて今も名品として遇されるのは、それなりに作品に力があるからです。

私も物作りをするものの一人として、残ったものがいつまで残るかは別にして、虎は死んで皮残すのですし、後の世の人にも賞賛されるような物作りを、特に70歳を目前にしているだけに、特に意識しています。

何事も晩節を汚さないという男の生き方を全うしたいと、近年あまりにも情けない見本がいるので余計に思うようになりました。

本格派のキモノの発信

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早くも五月となりました。

風薫る五月まさに京都は新緑も美しく、私の好きな季節です。

東京では日本橋コレドで東京キモノショーと名付けて、いわゆる現代のキモノのイベントが開催されています、秋に行われるキモノサローネのメンバーとかぶっているようです。

こうした催しは悪いことではありませんが、これから本当にキモノを買おうと思っておられる方は、こう言うのより、本格的な伝統的なかつ上品なキモノが欲しいのであって、インクジェットの安物を買おうという人とは考えが違います。

茶道や華道、香道、あるいは日本舞踊や伝統音楽などの伝統文化を嗜もうという人は、買って後悔のないキモノや帯を探されています。

過日の梅垣さんの作品展でも、私の解説があると言うこともあるでしょうが、好評でしたし、梅垣さんの作品の質の高さや、センスを改めてご認識頂いたと思います。

デパートで老舗と称している織屋よりはるかにモノはよく、価格もお値打ちですし、そのことを理解されます。

梅垣さんも小さな織屋さんですが、だからこそこだわった上質なモノづくりを徹底されますし、それは当社も同じです。

サラリーマンがモノづくりをするところとはこの時代根本的に精神が違います。
そういうところはすぐに儲けることばかりが頭にあって、材料の質もかつてよりはるかに悪いしセンスも以前ほどではありません。

モノづくりする社員がかつてのことを知らなくなっているので、何が本物か何が真の高級品かわからなくなりつつあり、変えてはいけないことと変えるべきことの差が分からないようです。第一知識がありません。一言で言えば極端な勉強不足です。
また同様に教養もなく知識もないものでは売る方も上物とは何かが分かりません。

近年そういう傾向がますます顕著となって、消費者はどこで何を買っていいのかということで、大変迷われます。たまたま私の店を探された方は、どうしてこうした上品なものが他にないのですかとよく聞かれますが、結局業者側の不勉強と、買おうというお客様の背景や心理が分からなくなっているようです。

今月当店では今河織物さんの作品展を開催しますが、さんざんお召しを買って着ている私が本物と認めるのですから品質、センスともに間違いありません。

買おうという方々は、こうした売り手の経験や知識を頼りにされているのですから、伝統的な本格派のキモノを買ったこともない、その知識のない者では真の高級品を売ることもできません。
とうことは作れなくなるということになります。

作り手も売り手もかつては自分自身にお金をかけていたものですが、そういう存在が見当たらず、茶道も知らず能も見たことのないものが作ったり売ったりするのでは、結局情けない低級なものを扱うことになるのです。
つまらない仕掛けばかりが先行して、浴衣の出来損ないのようなキモノを高く売りつけることばかり腐心している情けない状態です。

自分自身の人間の価値以上のモノづくりは出来ません。

今上質なものづくりはいつも申し上げる通り危機的状況となって来ていますし、是非本格的なキモノの情報発信に、心ある人たちが協力して取り組むべきなのです。

そうしたものを扱う特に都市部の問屋も考え方を改めて、消費者を対象に情報を発信していただきたいと心から願うものです。

インクジェットや機械染めのペラペラだけがキモノだなどと思われたら、そんなものしか売っていないのだと思われたら、リサイクルばかり買われてしまいます。

売れない売れないとぼやくのではなく、商いの本質に立ち返り、真にお客様にとって損ののない、後悔しないものをお納めしたいものです。

特に次世代の人たちにそのことをお伝えしたいのです。

伝統と革新という言葉を誤解し、過去のものを破壊して新しいものという風に錯覚している人がいますが、それは先人の紡いだ文化の価値を知らないものに多く。おためごかしににそう言っているだけのことです。

まずは過去のものを勉強するところから革新のヒントが見つかると思うのです。

だんだん遺言めいてきますが、自分たちが真のキモノ文化を伝えるのだという気概を持っていただきたい、その一言です。


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