改めて桶染めについて

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来月、泰三の振袖を買われたお客様を、その製作現場、つまり職人さんのところにお連れするのですが、泰三の振袖は、慶長小袖をベースにした華麗なキモノです。

桶染めという特殊な染め方をして、金彩、刺繍を駆使した作品は現在ではコピーするところがあっても同じような仕事はできません。

この桶染というのが非常に難しい技で、京都でも本当に上手くできる人はわずかです。

写真のように、色と色の際が綺麗に分かれているのは、桶づくりがよほど上手でないとできません。

ある老舗問屋で桶染め風の物がありますが、よく見れば色と色の間に白地が大きく見えています。これは桶染めで作ったものではありません。

下の写真のように、桶の中に染まってはいけないところ、染めるところをその桶の外に出して、桶の際に針を打ちつけ、上から蓋をして棒をかけて縄で縛ります。これを桶づくりと言います。

そしてこれを絞り染屋さんにもっていって、染料タンクの中でこの桶を転がしながら染めていくのです。

染め上れば、桶を割ると言って、その桶の心張棒を外して、中の生地を取り出します。

この作業を4色なら4回繰り返すのです。これは染めるためだけの作業で、疋田絞りなどがある場合はそれ以前に絞っておきます。

この仕事は本当に大変難しくて、一人前になるのに10年は楽にかかりますし、もうこの桶そのものを作ってくれるところもないそうで、今当社がやってもらっている名人の職人さんがなくなればもうそれで多分終りで、飛び柄の物しかできないだろうと言われています。

70歳を超えているだけに、後なん年だろうかと思いながら、日本最高の仕事を続けております。多分もう他社ではやっていないと思いますから、私が生産を停めればそれで、もしかしたらその歴史が閉ざされるのではないかと思います。

もうそういうところまで色々なものが出てきています。

職人さんに跡取りもなく、出来るだけ命を長らえて、ぎりぎり生産を続けようという毎日です。

ご興味あれば店においでになって手に取ってごらん下さい。


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キモノを着るのが面倒臭いでしょうか

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私はフェースブックなどにも投稿していますし、キモノの啓蒙に使える媒体はできるだけ活用しようと思っています。

キモノ業界は極めてその点で劣っており、私のような60過ぎてこうした発信を続けている者は相当に少ないのは事実です。

そんなことをして何の意味があるとか、分からないで済ませてしまっていて、もったいないことをされているなという思いです。

小売りの団体もHPがあっても誰も何もそこで発言しません。事務局に更新を任せているのが関の山です。

本当にキモノの文化を啓蒙したいと真剣に思うのなら、公の立場で自分の言葉で色々語ることが大切ですがキモノ業界でそんなものはほとんど見たこともありませんので、私のブログは極めて異質なのかもしれませんね。

ところで、そのFBで女性にキモノを着てくださいねというようなことを言うと、中には大変興味を持っているとか、現実の色々お稽古事をされていて良くお召しになる方もおられますが、中には色々仕事をしていて活躍している女性でも、着るのにコストがかかるとか、移動するのが大変だとか、なんだかんだ言い訳して全く着ていないという女性がまだまだ非常に多いことに気が付きます。

私は極めて残念かつ情けないことだと思っています。

民族服をその国民が着ない、着られないというのは世界でも奇異なことでしょう。

小さなときから縁が無いという今の時代では致し方ないともいえますが、日本人であるなら着たいとか、着なければと思うのが本当だろうと思います。

家には祖母のもの、母の物があります。男性なら父親の物があるという家は多いのです。

よほどの身長差でなければ、キモノは仕立て替えをすることでまた次世代でも着ることができます。そういう意味では洋服よりも遥かにお得なのです。

しかしそれでも着たことが無いという人の方が圧倒的に多いのは確かです。

結局は日本人が日本の文化を全く意に介していないということです。

女性のキモノ姿は世界の民族衣装の中でも最もあでやかで、注目に値します。

海外でキモノを着ればお姫様のような扱いを受けます。日本のキモノ文化が他の民族衣装に比べ極めて文化的に高度なものであることは世界でも周知の事実です。

にもかかわらず、日本女性がキモノを着ない、着られないというのはやはり尋常なことでは無いと思います。

これから海外ででも活躍しようとするのなら、日本文化を十分に身に付けていくことは大変な武器になります。当然キモノを着ることは、仕事上でもプラスになることが多いでしょう。

毎日着なさいとは言いませんが、これと言った時にキモノ姿で出かけたら、見る目も変わります。そして生活にメリハリがつくでしょう。

小紋や、付下げなどを着るのでもいちいち着付けしてもらえば確かにお金もかかりますが、それ自体が普通のことではありませんね。

着付け教室に通う時間もなければ、少し誰かに見てもらえればすぐにできます。
少なくとも太鼓結びだけでいいのなら、帯をそのように作り付け、ベルトの様に締められる仕立て方があります。

このことは以前にも何度も書いていますが、そうした工夫をすれば、旅先で着ることも億劫ではないはずです。

着付けにお金がかかる、面倒だから着ないというのは、日本女性としていかがなものかなと思う次第です。

真のグローバリゼーションとは欧米化ではありませんし、特に文化が同質化していくことなどあり得ません。

それぞれの国家が、国民がアイデンティティを確立していることが大切で、それが無いと結局強者が弱者を飲み込んでしまいます。

将来の国益と言いながら、他国にその利益を吸い取られるようなことがグローバル化とは決して言えません。

お互いの長所、短所を補完できるような取組が大切で、そのためにはお互いの国の、歴史、伝統、文化を理解し合うことが大切です。

そのためにも自国の文化をよく知っていること、そのことに誇りを持っていることは当然なのです。

ににもかかわらずこの国は、素晴らしい文化を有していながら、政治家も、官僚も国から金をもらっているのに、この国の歴史と文化を正しく理解していないという極めて尋常ならざる国なのです。

男がどうしようもなく無教養で、だらしなければ、少なくとも日本女性に頑張ってもらいたいですし、大和撫子として日本文化にもっと積極的に触れてもらいたいと強く思うこのごろです。

キモノは面倒くさいから着たくないなどという言葉は少なくとも私はあまり聞きたくないですね。

着てみたいから色々アドバイスしておっしゃるのなら嬉しいですがね。

産地に在庫がない

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今日ある業界の人と話ををしていたら、ある紬の産地などでは在庫が本当に少なく、特に手のかかるようなものはもうほとんどないというのです。

問屋に売れ残っているものがあれば引き取ってもいいというのだそうです。

まさに異常な事態ですが、問屋が発注を極端に控えているので、ロットのある織物産地などは、作ること自体を停めてしまい、急激に産地のそれもいいモノの在庫は減ってしまったそうです。

あまり手のかかっていない低級品だけはあるそうですが、品質にこだわらない値段だけの量販店くらいしか逆にこんなものは動きません。

良いものを欲しいという消費者はいるのですが、現在の流通市場にある過去のものがなくなれば、当分モノが無くなってしまうということです。

そうなってから発注をしても、その時には作り手自体がいなくなっているのではないかと言われています。

本業だけでは作り手は殆どが赤字ですし、不動産収入などがあるところだけが残れると言っても、代が替れば本業を辞めてしまうでしょう。

またある西陣の織屋さんの話ですが、昨年有名な織屋さんが辞めてしまったのですが、心無い流通業者が、そこの真面目なつくり方をしたものを、背に腹は代えられないと、ネット業者などに安く売ってしまったりして、市場でどんどん値が下がってしまい、その織屋さんは資産もあるので、馬鹿らしくて辞めてしまったのです。

ところが過剰な流通在庫が払拭され、その帯の物の良さが見直され、分かる人がそれなりの値で商いし始めたので、残った在庫も値が通っているのだそうです。

要するに市場をよく見て、過剰生産にならないよう上質なモノづくりをしていれば、必ずそれなりの値で流れていくのです。

流通業者は、そういう真面目な人が作るものが結局一番ありがたいのだということをよく考えるべきで、そういう意味ではよく勉強しなければなりません。

大手問屋の何でもありの、安物を高く売ろうとするような催事販売などがいつまでも続くわけがありません。

こうした現実に鑑みると、作り手と正しい手の組み方ができ無い者は、予想よりも早く市場からスポイルされていくことだろうと思います。

この仕事で今後飯が食いたいのなら、当たり前の商いをすることです。売れても金を払わない、早く払うのが馬鹿らしいなどというような流通業者は当然ですが、淘汰されてしまいます。

また借りた商品のとんでもない値付けをして、客がちょっと興味を見せるとすぐに半額にしますとか、異常な商いを平気で続けているところもあります。


ここまで業界が縮小したら、本当に問屋があるいは産地が、あまりにひどい商いをするところを排除していかないと、消費者のこの業界に対しての不信感は払底できません。

買いたいのに何か騙されているのでは無いかと思うという様な声を聞くたびに、本当に悲しい思いをしますが、そういう現実が分かっていながら、卸してしまう問屋の責任は小さくありません。

結局真面目なものは馬鹿らしくて先に辞めることとなってしまいます。

ただ産地の在庫状況がタイトになれば、産地からの逆選別がいよいよ本格的に始まるであろうと思います。
金を払わないところには売れ残りの駄ものしか回ってこないということと覚悟することでしょう。

ここ数年で団塊の世代も去り、世代交代が急激に進んでいくことでしょう。
若い人たちはこれからがありますから、横暴な商いは当然忌避して行くでしょうし、色々な意味で、消費者にとっていい方向へ変わっていくことを期待しています。

この日本の大切な文化が、悪貨で駆逐されることのないよう、お役をしているような人には特に見識を持っていただきたいものです。

しかしそれにしても産地の疲弊状況は半端なものではなく、廃業が止まらないということは事実です。小さな生産でもバランスが保てるようになるまで、まだ縮小していくのだろうと予想されますが、果たして職人さんがいてくれるだろうか、それだけが心配です。

京都は紛れもなく、今でも友禅や帯の一大生産地で、京でもモノづくりが止まるということは、先人が築き上げてきた文化の一つが消滅するということです。

加賀友禅、東京友禅、十日町友禅という産地があっても、それはすべて京都の亜流であり、京都が常に洗練された染のキモノの最先端にいたことは確かです。

ところが近年、量販店、NCなどの流通事情から、インクジェットなどの印刷キモノのシェアが高くなり、心無い一部の業界人は恥ずかしげもなく、その振袖を京友禅などという証紙を貼って、何も知らない消費者に販売しています。

消費者がよく知らないから、ある意味だますなどと言うような情けない業界に未来はないのですし、そういう流通業者が淘汰されてしまう方が世のためであることも間違いではないにしても、何より本物の京友禅とはこういうものだということを、消費者に知ってもらうことが大切だろうと思います。

京都では手描友禅の生産に携わる業者が組合もいくつもあり、京都では毎年展示会なども催されています。

しかしいくら京都でそうした活動をしようとも、漁場で魚を売るのと同じで、啓蒙、啓発活動には殆どなりません。

本物の京手描き友禅のレベルの高さを多くの人に知ってもらうことが、消費者が誤ったものを売りつけられないことにつながりますし、是非全国の消費地で展開するべきなのです。


私はそういう団体の一つの京都染色美術協会(通称美協)に属していました。

この会は元知事の肝入りで、京都市美術館で唯一毎年キモノの展示ができる団体で、府、市からも補助金が出ています。

この会員はそれこそ京都の高級な友禅のほとんどすべてを生み出している染匠で、かつてはこの会員であることが高級友禅業者の証であり、誇りでもありました。

ところが10数年くらい前から流通環境が、大きく変わり、大手問屋にとっては高級な品格ある友禅のキモノは無用のものとなってしまし、その問屋の社員でも美協のことさえ知らないというような情けない低級化が急速に進みました。

こうした背景を受けて美協はその存在意義、性格を、単なる友禅のエリート集団という自負を持つ者の集まりから、京友禅の本物上物の、つまりは京都の文化の発信団体として脱皮すべきだと私は思い、そのための組織変更(今は単なる任意団体)をすることなどを画策したのですが、私の力不足、先を見る目のない高齢者のために潰されてしまい、私は
その団体に属している意義が無いと思い脱会しました。

私が辞めたことで多くの会員が追随したのは忸怩たる思いですが、その後私の予想した通り、一段とその存在価値が見えなくなり、退会するものが止まらず、新会員が入っても、最盛期60名の会員が、今はたった10数軒となってしまいました。

青年会も解散し、今年はまさに背水の陣です。

復帰してくれという声もあるのですが、やや手遅れという感は否めません。
ただ何でも反対するような高齢者が退会したようですし、若い人たち中心に運営していくということですので、側面からバックアップできればと思っています。

これからの茨の道を嫌でも切り開いていかねばならない若い人たちが、お互い協力して、その啓蒙活動に取り組んで欲しいのですが、そのためには前売りの方たちの協力も大切です。

心ある人たちが、本物を残そうという思いで助け合っていただければ、日本中に京都のモノづくりの魅力を真摯に発信できると思います。

消費者の知識が増えることで、販売店にそう言うものを求める声が高まっていくことが望ましいと私は思っています。

本で読むだけでではだめで本物を手にとって見ることが大事なのです。

専門店も当然ながらそうした勉強を重ね、消費者にその魅力を伝えてほしいと願うものです。

あと2年ほどで、我々団塊の世代は全員65歳となり、現場を去るものも急速に増えていきます。あとを任される若い世代がそれなりの見識をもって、次の時代に向けて行動していかれることを願っていますし、私のできる範囲での協力は惜しまないつもりです。

小物もない

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私は仕事柄当然ともいえますが、自分自身がキモノを着るのが好きなので、若い頃からこつこつと作ってきたキモノは今では50枚以上あると思います。

お稽古をしたりしていましたのでキモノを着る機会も多かったこと、また務めて多くの会合にキモノを着ていったので、それなりに数も必要だったのです。

まあそんなわけで、私の店でも男物をお世話することがあります。

私はお洒落に、かつ品よく着ていただきたいと思い、初心者にはお召しの上下からお勧めしているのですが、最近とみに困ることがあります。

男物は色々と決めなければならないことがあります。

長着と羽織の生地が決まれば、長着の裏地をどういう色にするかを決め、既存の物で無ければ染めることもあります。大体市販の物は決まった色しかないので、それこそお洒落な裏を付けようと思うと染めるしかありません。

また羽織には羽織裏が要りますが、これが困るのです、粋でお洒落な一枚ものの額裏(一枚ものはそのように言います)は、今探してもなかなかありません。

私が持っている羽織の裏には、色々な柄があります。

かつては浮世絵風の色っぽい物もたくさんあったようですが、そういうものが姿をけし、型物のやすけない物はたくさんあっても、洒落た柄を探すのは至難の業です。

たとえば私の物のに、ソラマメが大きく二つ絞り加工で並んでいるものがあります。

これは商売人はマメマメしくという洒落ですし、これも絞り染でナマズの柄がありますが、これはナマズというのは地震を予知することから家内安全という意味と、ナマズは夜行性で、夜目が効くそうです。

夜の目が良い→夜目が良い→嫁が良い ということで一族の繁栄を願うという意味で江戸時代などにはよく使われた柄だそうです。

この間お客様にお世話したのは、瓢箪の横の方に小さく馬が一頭いて、つまり瓢箪から駒などという洒落です。

こうしたさびのきいた洒落た羽裏を探そうと思っても本当に少ないのです。


鳥獣戯画だとか、富士山だとかならあるのですが、それも加工方法がレベルの低いものが多く、決していいとは言えません。

こだわればこだわるほどものがありません。昔はよく売れていたので、色々業者も知恵を絞ったのです。

男物の羽織は作る人が本当に少ないので、今度は羽織の紐にも困ります。

これも定番のようなものばかりで、ひねりのきいた良い色目の物が本当に少ないのです。

それに襦袢がまたいいものが少なく、その衿が良い色があまりないので、これもまた場合によっては染めます。

草履の鼻緒も洒落たものが無いので、私は全部誂えます。


このように、表地が売れないと、今度は小物も売れませんから、売れ筋の物しか作らなくなり、キモノをよく着る人には選ぶモノが無くなり、全部誂えるということになりその分高くつくという結果になるのです。

全体の生産や販売が好調だとその中で洒落たものとか、思い切ったものを作れるので、キモノの達人を満足させるものもあったのですが、最盛期のたった数パーセントの生産しかない様な状況では、キモノにこだわる人ほど満足できるものが無い、昔の物の方がはるかに良いと言われて、実際売るものが無くなっていきます。


そういうことに気が付いて少しはお洒落なものも作るところもあるのですが、いかんせん販売が伴いません。

専門店は男物の場合長着だけでなく是非羽織もお作りになるようお薦めしてください。


昔は男は羽織を多用したので、羽織専用の生地、羽尺(もちろん女ものも)がありましたが、近年は羽織が売れないので、結局長着を羽織にしていますので、生地が余ります。

そして裏物もいいものが無くなっていきます。

誂ればいいとはいっても、そのことをよく知らないと誂え注文も取れません。

売り手がもっとキモノをよく着て、TPOだけでなく、そうした小物のことなども勉強しておかないと、困った事態がおきるのです。

キモノで飯を食う人はキモノを着るという基本を忘れないでいただきたいものです。

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