八朔(はっさく)

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昨年に引き続いて遅い梅雨明けとなりました。地震の被災地に雨が降るのはいたたまれない思いです。

復興に時間がかかるでしょうが、高齢者が多いだけに心配です。

あれほど多くの断層があの地域にあるとは知りませんでしたが、そんな中に日本最大の原子力発電施設があったのも不思議といえば不思議です。

こうした災害は今後も起こる可能性もあるのですから、今回のことを謙虚に受けとめ、当然ですが何か今から新たな対策をすべきなのでしょう。

さて今年ももう8月となりましたが、8月1日は古来 「八朔」 と称し特別な日なのです。

意味は8月の朔の日、つまり月初め、旧暦の8月1日のことです。

この八朔という言葉で思い浮かぶものにみかんの一品種があります。幕末の頃広島県のあるお寺の境内で発見されたそうで、その住職が八朔の頃には食べられるといったからそう名づけられというのが定説です。

でも本当は収穫時期は12月から1月で8月にはとても食べられません。

今の若い人は、八朔と聞いてもこのことしか思い浮かばないかもしれませんが、

実はこの日は日本にとって、とても意味のある日なのです。

この日には日ごろお世話になっている人にちょっとした手土産を持ってご挨拶に伺うという習慣があります。

現在ももちろん続けられている方も居られますし、京都では祇園の芸妓、舞妓が井上流の家元にご挨拶に行くほか、普段出入りするお茶屋をまわります。

こういう習慣は相当古い時代から武家社会だけでなく、民間にも有った様で、特に江戸幕府にとっては特別な日とされ、お祝いの行事が執り行われたということです。

これには理由があります。

ちょうどこの頃早稲の穂が実るので、農民の間ではこの初穂を恩人などに贈る風習が古くからありました。この初穂を 田の実 といい、このことからこの日を 田の実の節句 とも言います。

この田の実(たのみ)を 頼み にかけ、武家や公家の間でも、日ごろお世話になっている ( 頼み合っている ) 人に、その恩に感謝する意味で贈り物などをするようになったということです。

また徳川家康が天正18年8月1日 ( グレゴリオ暦1590年8月30日 ) に初めて公式に江戸城に入城したとされることから、江戸幕府ではこの日を正月に次ぐ祝日として諸大名が賀辞を述べるために登城し大刀を献上したとのことです ( 明治以降は新暦で9月1日になったそうです ) 。

また吉原では、太夫が全員羽二重の白無垢を切る習慣があり、そのさまを八朔の雪、とか白妙と称していたそうです。

というように、この日は日本の伝統的な習慣が執り行われた特別な日でもありました。

昔は従業員の奥さんが社長宅に挨拶に行ったり、仲人宅にも訪れたものでした。

ところが最近ではこうしたこともなくなり、その意味も分からなくなっています。

日本の伝統的な風習も固有の文化ですが、年を追うごとに崩壊している現実は悲しいものがあります。

その文化の中にキモノという衣裳があるわけで、風習、習慣の変化はキモノ着用の機会を減らし続けるということになるのでしょう。

先日も、当店のお客様がある大使館のパーティーに招かれ、訪問着を新調されて行かれ、その国の大使夫妻にはとても喜ばれたそうです。ところがそれなりの地位ある人の奥様でキモノを着ていた人は他に誰もいなかったそうで、そのお客様も嘆いておられました。

外国の大使に招かれているのに、日本人としてキモノを着ていこうという思想がないということは本当に情けなく、外国人も不思議に思っています。

これはそういう教養を持ち合わせていないということでしょうか。

セレブというのはヨーロッパのブランドで身を飾ることなのでしょうか。

その様に煽るマスコミの見識のなさにもあきれ返りますが、もっと日本人としての誇りを持てるよう、歴史や文化をそれなりの地位ある人が勉強して欲しいというのが、私が最近言い続けていることです。

毎回毎回同じようなことを書いていますが、京都の生産状況は月を追うごとに縮小しておりますし、本当に心配な状況であることに変わりがありません。

そのうち明るい話題を書いて見たいというのが偽らざる心境です。

暑い日がこれから続きます。健康にはくれぐれもご留意ください。


高橋泰三   拝

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