第12回  刺繍 (その1)

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今回から刺繍の話をさせていただきます。色々な工程を経て、付加価値をつける最後の工程です。もちろん刺繍の無いきものもありますが、高級なきものには必ず刺繍を施します。特に私の作品はその刺繍に相当重きを置いており、刺繍で色々と表現することを得意としております。そうしたジャンルのきものとしては日本一すなわち世界一の仕事をしていると自負しております。それゆえ刺繍には、特別のこだわりがありますので何回かに分けて色々お話したいと思います。

 今月は 刺繍の歴史 についてお話します。

 刺繍の歴史は相当古く、おそらく布というものが作られた頃には同時に施されていたのではないかと考えられ、中国の周の時代にすでに刺繍の技法解説書が存在しています。織物の技術がまだ未熟な時代、刺繍は描絵にかわる重要な技法でした。衣服に施された繍画は、描絵に比べると長年の利用にも耐え、重厚感があると共に細かな表現ができ、中国に限らず、エジプト、ギリシャ、メソポタミアでも同様で、紀元前10世紀にすでに、専門的な刺繍工がいたといわれています。

 現存する日本の刺繍の遺品で最も古いものが、推古30年に聖徳太子の死を悼み、妃の橘大郎女が侍女に命じて作らせたという「 天寿国曼荼羅繍帳 」です。今は破損してその一部が、法隆寺の横の 中宮寺 というところにあります(本物は保管されていて滅多に見られませんが)ので、ご覧になった方も居られるかもしれませんが、天国にいる太子の姿を、羅の生地に稚拙ながら刺繍で表現したものです。

 次いで京都山科 勧修寺 の「 繍仏 」があります。これは唐の時代の中国製らしく、技法解説は次回からしますが、 鎖繍(くさりぬい)、相楽繍(さがらぬい) で縫ってあります。その他正倉院には日本製の多くの刺繍裂が保存されておりその技法は、撚りの少ない平糸使いの、 平繍(ひらぬい) を主体とした両面刺繍で表され、今日の日本刺繍の原点を見ることが出来ます。

 時代が下がり平安時代になりますと、刺繍はそれまでの冠や仏事だけに使われるのでは無く、衣服にも用いられるようになりました。この頃から文様の表現に刺繍が定着してきたとはいうものの、技法は単調な平刺繍が主体でした。平安後期から鎌倉、室町初期にかけて浄土思想や地蔵信仰の影響から繍仏を作ることが流行し、このことで刺繍の技が発達してきました。

 さらに桃山時代になり、明国から入った織技法を真似しようと思いながらなかなかそうは行かないので、その代わりとして刺繍で表現することに傾注した結果、刺繍の技術は一段と進歩しました。刺繍の極致とさえ言われる縫箔の技法はこの時代に生み出されました。このように完成された刺繍技法は江戸時代には衣服に全面、あるいは自由な文様の施せる技法として開花してゆきます。

 金糸使いなどによって豪華さを表現する刺繍が、江戸末から明治後期にかけては精緻な技術の競い合いとなり、今日に伝わる刺繍の技と美を形作ってきたのです。京都で加工される刺繍を特に「 京繍 」として他と区別されるのも、古い歴史をもった優れた技術の蓄積があるからです。京繍の主力は和装製品で、その加工は多岐にわたります。

 刺繍加工はその仕上がりに重厚感と豪華さを添え、どのような文様も自在にこなせる便利さがあり、あしらいのような部分的な付加加工から、全体を刺繍で覆いつくす総刺繍まで、その応用範囲も多様です。

 刺繍の無いきものとあるきものでは、見た目の華麗さは一目瞭然で、あらゆる加工の中でも際立って付加価値を与え、またその価値が万人に分りやすいものでもあります。ただ近年の経済状況の中では、一番時間とお金のかかる刺繍は、かつてのような豪華なものは大変数少なくなっており、刺繍職人の数も激減しているのが現実です。どのようにこの優れた技を次の時代に続けていくかは、どの工程にも言えるのですが相当な知恵が必要とされるでしょう。来月から具体的に刺繍の加工を解説させていただきます。

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高橋泰三(本名 洋文) 敬白

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