専門店の好み (例えば旧きしや好み)

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京都の産地としての状況は、東京の呉服屋さんや問屋でもその実態はよく分っていません。
私がそれを訴えても、他人事のように受け取られるのは心外です。

このままでは作り手がますます疲弊し、潤沢に何でも取り揃えることが出来なくなります。

そういう状況ですから、どこにでもあるようなものばかりで商っていては、ますます消費者にとって魅力ある店作りは出来ません。

これから生産が一段と減っていくのなら余計に、差別化を図るような戦略を立てないと、狭いパイの中では生き残ってはいけないのです。

それはそれぞれの店で違いますので、一概にどういう道がいいのかは言えません。
商いの方法などにもオリジナリティが有るところもありますが、私はやはり基本は品揃えだと思っています。

どういうものを揃えているか。それがその店の個性となるのです。

今でも本当に少ないのですが、染め出しをして、その店のオリジナルのものを主に商っておられるお店もあります。

それを見るとこの店はどんなものが好きなのか、どういうセンスをしているのかが良く分りますし、それが好きなお客様が自然に集まるようになるのだろうと思います。

ひところは、別に染め出しをせずとも、自分の好みのものを仕入れて販売するということは当たり前でしたから、他でよく売れていても、或る店では決して扱わないということも良く有りました。

今もある有名な店のかつての社長は、自ら仕入れもされたのですが、或る問屋の営業員が「社長これどうですか。他所でよう売れてますね。お店でもどうでっしゃろか」と言ったところ、「他所で売れてるのなら何でうちへ持ってくるのや。持ってくるのなら一番に持って来んか!」といってその社員が怒られていたのを目の前で見ていましたが、それくらい有名な専門店というのは気骨があったのです。

今は他所で売れているものは何か教えてくれだとか、そういうものを持ってきてくれなどというところもあって、そういうことを聞くたびにもう亡くなったその社長のことを思い出します。

自分が好きなものを仕入れてお客様に勧めるというのが本来の専門店の姿でしょうから、隣と同じものを売るというようなことはありえないのです。

かつて、銀座には、きしや(現在は経営母体が違います)とちた和という双璧の名店がありました。

日本を代表する高級呉服専門店で、ともに先代が創業され、ライバルでもありました。

京都本社は先代がものづくりを始めて間もないころから、この両店とお取引が始まり、殊のほか可愛がっていただいておりました。

京都へ仕入れに来られましたが、当時から当然ですが、好みが違っておりました。

その後共に先代が亡くなって、共に二代目社長となりましたが、その好みの差は踏襲されておりました。

当時は、どちらの社長も良く美術館などに行かれ勉強されておりましたし、オリジナルなものを作らせておられました。

しかしなんといってもきしやの元社長は、育ちの良さも有って、美意識が高く、京友禅に対して色々と提案をされ、それに作り手が応え、それまでの柄や配色が明らかに変わりました。

当時はまだ業界環境も良かったということもありましたが、京都の作り手も大変創造的で、そうした得意先の好みに合わせて、勉強もしましたし、要望に応えられるべく努力もしました。

その結果いわゆるきしや好みという、京友禅のひとつのジャンルが確立したことは、戦後のものづくりの中でも特筆すべきことであったといえるでしょう。

この好みは、一口で言えば優美で繊細な、色と柄にあるといえます。
上品な地色と、実に緻密な仕事、配色で、デザインとしては、小付けの花柄などが好まれました。

この元社長は、シンプルイズベストが分っている、キモノ業界では数少ない人の一人でしたかから、白と金だけで表現するようなものも大変好まれました。

当社の先代などもそうですが、戦後の柄の傾向は、大胆で大柄なものが多く、あまり小付きのものを好みません。それで私が当時の仕入れ方の方などに色々と教えていただいて、当社の柄の傾向を変えていきました。

京都でものづくりをする会社は、この好みに大きな影響を受けたことには間違いなく、高級友禅の定番となっていたことは間違いありません。

この店と取引があって高級な物を作っていたところはすべてその方向でものづくりをしたことは当然ですし、それ自体がそのもの作りをする会社の個性ともなっていきました。

当然ですがそれまがいのものもたくさん作られていましたし、ある時期の京友禅のかなり部分がきしや好みに影響を受けました。

ただ残念ながらその店がなくなり、そういうものを作っても受け皿がなくなって、本当に手の込んだものはほとんど市場から姿を消しつつありますし、そのセンスを伝えているところは、もうわずかです。


そんな中での泰三のものづくりは、銀座では唯一といって良い、その上品で繊細なセンスを伝えているといっても間違いではないでしょう。

結局私自身もそういう好みが好きだったということではなかったかと思います。

今後京友禅界に良い意味で大きな影響を与えるような好みを持った店が現れるとは思えませんし、私はその粋やセンスの基本は伝えて行きたいと思いますし、そのことが大学在学中の副保証人でもあった元社長への恩返しかもしれません。

ものづくりはそれを認めてくれる人があるからこそ面白いのですが、今のように委託の商いばかりでは、当然ですがやる気がそがれています。

ぜひそれぞれのお店が勉強されて自らの個性を磨き、特徴ある商品をお客様に自らの好みとしてお薦めいただきたいもので、そのことが京友禅のものづくりを続けさせることとなるでしょう。

生き残りの道は出来る範囲でのリスクをはって個性を売る、差別化を図ることしかありませんし、それが出来るところだけが残っていくのではないかと考えます。

そして心ある同志が手を取り合ってやりがいを持って楽しく仕事がしていきたいものです。
それが結果的に消費者に対しても多くの選択肢を与えることとなり、活性化していくのだろうと思います。

私はきしや好みに影響を受けたものとして、これからもその継承をしていくとともに、60歳を迎えたこともあって、先代の好みを見直し、融合した新たなものを創造していくことをこれからの道としていきたいと考えています。それが銀座きものギャラリー泰三の好みでもあるのです。

物を作るものにとって環境は最悪ですが、この銀座の店を生かして、今後供ものづくりをしていくことが、世のため人のためとなるのだろうと思いますし、尽力いたします。

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初めて書き込みします。
「きしや好み」懐かしいです。きしやは私のあこがれの呉服屋さんでした。
もっとお金を稼ぐようになったら、豪華な訪問着や、しゃれた小紋を作りたいと思いながら、ウィンドウに飾られた着物を眺めていたものです。

紬にはまり込んで、染めまでお金と手が回らないうちにお店があんなことになってしまいました。いまでも見た商品は目に浮かびます。幸いにも小紋と附け下げを作ることが出来たので、今でもその着物を眺めては、「きしや好み」を楽しんでいます。
 
きしや好み・・・もうあのようなセンスの呉服屋さんは出て来ないと思います。マネするお店はあっても微妙な色合い、センスは到底まねできないものだと思います。

「きしや好み」という言葉ももう無くなってしまいました。ちた和さんもまたお店を復活したようですが(店舗だけ見かけました)、センスは以前と変わってないのでしょうか?私にはあまりちた和さんは正統派すぎて少しもの足りませんでした。

徒然様

ちた和はあるアパレル会社の社長の道楽で再開したのですが、その会社がその放漫経営で破産してしまい、ちた和も2年ももたないで昨年の秋閉店しました。

今は問屋から借りて売る担ぎの呉服屋という形で元社員が細々と動いているだけです。

きしや好みは京都の我々製造問屋が作りあげてきたものです。一つのものづくりの方向性を示したという意味ではあの店にそれなりの存在価値はありましたが、放漫経営で破産しました。今あるきしやは別の会社が買ったもので、似て非なる店です。

今でも我々は当時の物づくりを続けていますし、当社もその一角を占めています。ぜひ一度ご来店され、ごらんくださればほっとされると思います。

いい加減な売り手がなくなっても、作り手に続ける思いがあるうちはそうしたものづくりはなくなりません。

 売り手がいなくなっても作り手が続けていれば商品はなくならないのですね。なんだか安心しました。

 呉服病が納まって(というより資金難から一旦撤退中)、銀座の呉服屋を見て回ることもめっきり少なくなりました。私が買いあさっていた頃とはだいぶ呉服屋さんも変わってきている感じですね。
 
 いつだったか見かけたあの「ちた和」の店舗ももう無いんですね。いくらなんでもアパレル会社の道楽で出来る商売じゃないでしょうに。放漫経営からの破たんっていうのは何だか納得いたします。今の「きしや」さんも時々通りががった時、ウィンドウを見ますが、置いてる商品も違うし、別会社だと聞いていたので行ったことはありません。

 また銀座徘徊を楽しむようになったら、一度泰三さんへ伺って商品を見せていただければと思います。

 

銀座にはかつての様な呉服屋はもうほとんどなくなりました。
銀座好みを続けていけるよう、これからも個人的には努力いたします。
おいでになる日を楽しみにいたしております。

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