紬と茶会

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あるキモノ雑誌の秋の特集が紬でしたが、(大体は秋は晴着特集が普通でしたが時代が変わりましたね)
その中で紬で茶会という記事がありました。

ある高齢の紬作家とのタイアップのような記事でした。一応人間国宝らしいのですが、そのコメントにはいかがなものかと思い筆を執りまし

紬で茶会をしているさまが写真で載っていますが、紬なのに袋帯をしており、今や何でもありなのかと思わせる記事でもありました。

この紬作家の方に言わせると紬こそ茶会にふさわしいのだそうです。まさに初耳です。

私は以前にも申し上げておりますが、別に紬を着て茶会に行ってはいけないということはありません。

しかしそれはあくまで私的な茶会とか大寄せと言って、多くの人が点て出しで頂くようなカジュアルな会であって、それなりの格式のあるような会の時には紬は着ません。

茶の湯は村田珠光、武野紹鴎、千利休と続いて侘び茶が大成されたと言われております。

侘び寂を一言でいうのは難しく、侘びとは正直につつしみおごらぬ様などとも言いますが、
まあ華美にならない様のように捉えられています。
私に言わせると究極に無駄なものを排除した様、つまりシンプルそのものが最高であると利休は言いたかったのだろうと思います。
たとえば、茶室の外に雪景色があるとすると、利休はそれが最高の背景でそれ以上に何も手を加えることはないと言いました。余談ですが小堀遠州はその景色に赤い椿を一輪添えるともっとその雪が引き立つと言ったそうで、これは通称綺麗寂と言われています。


だからそういうことからすると紬が一番だという言い方もわからないのではないですし、お好きな人はどうぞ勝手にお召しになればいいでしょう。
ところが茶の湯は、当時大名などの支配階級の嗜みとして発達し、茶の道としてのしきたりとなりました。

したがって現在の少なくとも茶道という世界の中には、決まりごとや習慣があります。

この茶道に親しむことで、多くの文化や芸術を学びますが、四季の変化の移ろいや習慣なども同時に自覚していくことになります。

当然茶席でのキモノも四季に応じて変えていくわけですが、それなりの格を持った茶席には紬の着用ということはそもそも範疇に入っていません。

その茶道の発祥からして野良着であった紬を格のある席に着ていくことは大変失礼に当たるという考えなのでしょう。

この雑誌を見た人が、この紬作家が人間国宝で、その人が言ったからと紬を茶席に着ていくと白い目で見られることでしょう。

多分この作家は茶道を深く知らないのでしょう。会記を見れば一目瞭然です。知っていればこんなことは言わないものです。

茶道はそういうことがうるさいだとかいう女性がいますが、こういうのをもの知らずと言います。

茶道という道という字が付く限り、それは一つのしきたりの文化であり、それを学ぶことで、躾られ、多くの和文化茶道具などの形のあるものも学びますが、一番ためになるのは、おもてなしという日本の特徴的な精神文化を獲得することでしょう。

茶道を知りもしないで、外からああだこうというのは間違っていますし、稽古をしてうるさいから辞めるというのも、茶道精神を全く理解しない行為です。

いまどき家に茶室のあるところなどほとんどありませんから、実際に茶を点てることをお稽古して何になるという教養のない発言をする人がいますが、そのお点前や作法を通じて学ぶ、目に見えない無形の物はその人のそれからの人生にとって、とても有益であることは間違いありません。

茶道に精通されている方は、一切紬はお買いになりません。

私の母も茶道、華道、書道を長く続けておりましたので、キモノの中で、紬というのは結城と大島以外はありませんでした。

私はこの人の作品は全く評価しませんが、娘さんとセットで活躍されているようでお若いことだと思います。


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あなたのおっしゃることは、「体制としてある茶道」について今まで常識として言われていたことを、言葉をあれこれ駆使してもう一度おっしゃっているだけで、どう読んでも、紬がダメと決めつけられる理由は見出せませんでした。
茶道は家元を頂点としてある体制ですので、その中で生きるには、その中の格式を尊重するのが無難です。確かにそうです。私もその一員ですから、いまのところ尊重します。
しかし、茶会は誰がどう行っても良いのです。こんな単純なことに思い至らない程、既存の体制の力は恐ろしいわけですね。
「支配階級である大名たちの嗜好に合った格式」の発達、と言われましたね。はっきり言って、利休は墓の下で、こんな言葉を苦々しく思っているかもしれませんね。そして、こんな歴史の一過程など、どうでもいいではありませんか。
「紬は野良着が発祥」とも言われましたね。たしかに初めはそうだったでしょう。歌舞伎も身分外の身分である被差別民によるたわいもない、時には下品だった芸能から発達しました。その歌舞伎に、今や格のある着物で出かけたがる女性の多いこと(笑)。
紬の発祥に関する事情などになぜ今もとらわれておられるのか分かりません。歌舞伎役者には人間国宝もいますね。歌舞伎役者は元河原乞食だからと茶席から締め出しましょうか?(笑)
すでにあったこと、すでに終わったこと、を良しとして肯定することから出発されている考え方だと思います。すでにあったことは認めるべき。でも、それを今も引きずることが良いかどうかは、現代人が判断することです。
全然分野の違う話で恐縮ですが、イスラムの始祖マホメットは6歳の女児を妻にしました(名実ともにです)。それで、今もイスラム国の中には6歳の女児を妻に迎えることが認められている国があります。一方でそれを虐待ととらえるイスラム教徒もいます。かってあったことを肯定するとこんなことになります。紬も同じ目に合っているなー、と思いました。
もちろんあなた様のご意見はあなた様固有の物として、拝聴させていただきました。
それにしても、茶道をしている人にとっては紬は大島と結城だけなんですか? そして、その2つは認めるということですか? 私は茶道も書道も華道も、そして弓道までいたしますが、初耳でございました。こんな方もいるといういい勉強になりました。
それから、志村ふくみさんのことを一応人間国宝などとおっしゃっていますが、「人間国宝」に「一応」という種類はありません。人間国宝は人間国宝ですよ。この方の作品は素晴らしいです。私も一つ買いたいですね。
まあ、ずいぶんたくさん書きましたこと。でも実はまだ言葉足らず。
いろいろ失礼しました。

ある一つのブログ記事だけをみて私を批判されるのはどうかと思います。私は茶道で紬を着ては行けないなどをはずっと今も過去も思っていませんよ。
どんな稽古事でもそうですが、世の中にはメリハリを付けることが大事でつまり服飾もTPOを考えてお召しになるのが本当です。
茶道の中にも多くのシーンがあって、それを考えて色々なキモノを着て行くことが楽しいわけで、友人との茶会、大寄せ、あるいは正式な茶会にはそれなりの姿でいくこと、それを考えることが楽しいのです、私はずっとそう書いていますよ。私自身色々な紬を着て茶会に行きますよ。普段でも紬も結構着ますし、普段着としては重宝しています。でも表千家のお家元と親しくさせているので毎年お家元の初釜にも招かれますが、その時は色紋付きか紋の入ったお召しを着て行きますし、もちろん袴を付けます。そういう着分けをするためにはやはりそれなりにキモノもそれなりに持っていないと行けませんし、若いころから色々作ってまいりました、私のことを良くご存じないようですし、過去ブログも全部読んでなら良いのですが、断片だけ取り上げられるのも失礼な話です。こういう方に限ってアドレスも書かれません。私がおかしいと思われるのでしたら堂々と名乗っていただけませんか。私は人に意見するときは本名で行いますしつまらないハンドル名など使いません。銀座か京都においでいただけるのならいくらでも議論いたしますのでご連絡ください。人間国宝というものについてもよくご存じないようですし、お尋ねになりたいことあればどうぞ本名でまたコメントください。

お二人の議論を拝聴しますと、どうやら「流派としての茶」と「原点である利休の時代の茶」の認識のズレがあるように感じます。現在の茶道の諸流派は色無地の羽二重ないしお召を正装としているところがほとんどで、ブログ主さんはこの現在の格式においては紬で家元の茶会に行くのは不適切だとおっしゃるわけですね。たいしてデネブさんは利休の時代はお召など着ていないし、わび茶なのだから紬でも良いというわけですね。これはどちらが間違っているとはいえないでしょう。話が噛み合っていませんから。利休の時代は紙衣などがわび茶としては最もふさわしい衣服とされていました。その点を鑑みれば紬もおおいにありでしょう。しかし利休の時代はそれぞれ茶人が自分流の茶を個別に指南する「個人の茶」であったのに対して江戸時代からはたくさんの門弟を抱え、多くの人に茶道の指南をするため、体系的な作法を作り出す必要がありました。これが「流派の茶、家元の茶」ですね。江戸時代の千家は大名から富裕な町人(三井など)まで門弟がおりましたから、大名は当然、やわらかものを着て茶の湯をやるでしょうし、町人は絹は禁止でしたから、絹とわからぬようこっそり紬を着て茶の湯をやったでしょう。混在してたわけです。つまり今の千家の茶は武家の格式や町人のブルジョワ的な華美が入っているので羽二重に袴が正装なのです。ガチガチの利休以来のわび茶を遵守することは困難だったと思います。ガチガチのわび茶が続いていたら現在のように女性ばかりの茶道ではなかったかもしれませんが。ブログ主さんが個人的な茶事での紬はありだと認識しているように現在の茶道の状況を見る限り、やはり、本来紬は駄目な訳ではないが、流派の公的な茶会では適さない。個人的にわび茶に忠実な茶事をするなら紬も良い。という判断が適切でしょう。千家の重鎮の宗匠がたは十徳に紬をあわせていたりもしますし。(堀内、久田宗匠など)

私が申し上げたいのは、それなりの場所ではそれなりの物を着ればいいということで、キモノという服飾文化はその時代背景によって変化しているわけですから、今生きている時代ではどのように着るかと言うことです。ファッションとは常にそういう存在です。
茶会と言っても色々、茶席も同様です。キモノを着て行かれるときに周りとの調和を考えるのは常識でしょう。私も茶席によっては紬で参りますし、初釜などでは色紋付きかお召しで袴付きで参上します。周りの人が目を潜めるような姿では行かないと言う意味では、柔らか物でも紬でも同じです。ファッションは時代によって変わっていきますし、本来紬が茶道にふさわしいなどという人はまさにそういう意味でナンセンスなのですが、売らんがために、初釜でも紬で良いなどという人は本来のファンションを理解していませんし困った存在です。フォーマルな茶席に言ったことがないか、口ではそう言っていても自分が行くときは柔らか物を着ているのです。コメント有難うございました。

どうやらブログ主さんは単にTPOについてのみ言及しているのですね。TPOについては私も全く同感です。礼を失せず、周りと和する最もふさわしい装いをするということ。着たいものより着るべきものを優先させること。これはたとえ洋装であっても同じことです。そして作家さんの作品を売らんがための無責任な発言について問題提起しておられる、と。この点私も全く同感です。しかしながら私の文章が下手で私の申したいことがうまく伝わっていないようです。私が申したいのは、本来のわび茶の精神性において紬が不適当か否かです。私個人の意見としては千家がわび茶を標榜している以上、如心斎以来の華やかな茶風と並存しての利休の茶風への回帰も良いのではないかということです。なにも戦国時代の茶の湯を復古しろというわけではありませんが、如心斎の路線変更を茶の湯の堕落と捉える向きも過去あったようですし、千家の教授者の正装は着流しに十徳という紛れもないわび茶人姿ですから、あらためてわび茶の本義を再検討しても良いかなと思います。私は現在の茶風も原点のストイックな茶風もどちらも好きなのです。

私も文章が達者でないので、本当に言いたいことは伝わっていないようですが、おっしゃることに異存はありません。それがふさわしい茶会をドンドン増やしていけば良いでしょう。しっとりした味のある茶会などいいですね。点心も織部や備前などで供するとか、良いですね。
今度表千家の家元になられる宗員に伝えておきます。時代に合わせて気張らない茶会の普及は大事です。

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