久しぶりの三連休

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昨日のブログの狂歌の作者を思い違いしておりました。お恥ずかしい限りです。まだまだ勉強が足りません。

今日から月曜まで、私に取っては久しぶりの三連休です。
東京にいると水曜日だけが休みですし、店舗である限り夏休み、年末年始休暇以外は連休が取れませんので、この10年間ほぼ連休で休んだことはありません。


そういう意味では久しぶりです。京都は肌寒いですが好天で、今日は朝から娘を初釜に送って行ったり、すぐそばで遺跡の調査の説明会があったりで、寝てられませんでした(苦笑)

私が住む下鴨の自宅近辺は、飛鳥時代、聖徳太子がいたころ、このあたりに、結構大きな集落があったそうで、そのことはわかっていそうですが、今回地主さんの協力のもとに新築前に調査が施行されました。

個人宅の場合は費用は一切かからないそうです。この調査は財団法人京都市埋蔵文化財研究所というところがするのですが、補助金で賄われているので、京都は本当はいくらでも遺跡があっても補助金の限界があって調査できるところは限られるとのことでした。

約1か月ほどの間は建築期間が先のばされるのが地主の負担です。

京都は平安京以前渡来系の住民が多く住みついていたようで、この住居跡は、賀茂氏の一族かもしれないということでした。
竪穴住居跡と掘立柱建物跡が両方見つかっています。

柱と柱の間は板の壁だったそうで、屋根も板で上に石を置いて在ったそうです。
瓦屋根が一般的になるのは江戸時代以降だそうで、それまでは公家の住居か寺くらいです。

植物園北遺跡と言われているそうですが、鴨川の東岸に大きな集落があったその一部ですが、平安時代にはその集落はもうなかったそうです。

それ以降は畑や田んぼで、再びこの地が住居となったのは近世になってからだそうです。

火事その他の原因で集落が移動するというのはよくあることだそうです。

わずか2メートル以下の地中には近辺にもまだまだ掘ればこうした住居跡が出現する可能性があるそうですが、現実は建築の時に掘り返されているかもしれません。

調査が終わると埋め戻すそうで、遺跡を公的に保存するのはよほど歴史的価値があるもの以外は現実には費用の問題で不可能です。

私の自宅や本社の地下にはこうした住居跡があると思うと何か歴史的なロマンを感じます。

千数百年も前にこの地に住んでいた人がいる。それはどんな人だったのだろう。どんな姿をしていたのだろうか。色々知りたくなってきますね。

平安京は、平城京から長岡京を経て794年に遷都されたと言われていますが、それ以前は有名な秦氏を初め渡来系住民が数多く住みついており、その人たちの協力のもと街づくりがされたようです。

織物、酒造りなどすべてそうした人たちが伝えたものです。

そのように京都は建都以来、朝鮮半島中国との付き合いが長く、当初の文化の基礎はそうした人たちが伝えたと思われます。
その後遣唐使も廃止されてから、いわゆる国風文化が京都の地で花開き、日本固有文化として発達してきました。

そうした事実がありながら、歴史的に色々な不幸な事実があって、中国、韓国、北朝鮮としっくりしていないのは不幸なことだと思います。

文化交流は互いの国の理解を深めますし、是非政治家ももっとそうした文化的素養を身に付けてほしいと思うものです。

昨日の朝も雪が降り、うっすらと雪化粧をしましたが、あっという間に消えました。
肌寒いですが穏やかなお正月です。

遺跡1.JPG

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