もう少し紋の話

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紋のことはずいぶん前にも書いていますので、カテゴリーで紋の話をご参照下さい。

以前にも書いているのですが、いくら書いても、同じように紋のことで戸惑われる方が多いようですので、お分かりにならないことがあれば遠慮なくお尋ねください。

特に当社は創業以来高級な黒留袖を作り続けてきましたので、紋のことに関してはよく存じ上げているつもりです。

最近銀座にも紋の必要としないキモノを売る人が多くて、その知識を持ちわせいない売り手が多いのも仕方がないとは思いますが、知らないからといってとんでもないことを言われるのは困ったことです。

紬に紋を入れれば格が上がるので、婚礼に着ていってもいいとかというようなことは、キモノという服飾文化の基本を崩そうという話で承服しかねますね。

祝いの席に招かれたら、その方への礼を尽くすため、失礼のないような服装をしていくのは常識です。

紬はカジュアルウエアですので、基本的には晴れの席で着るのはふさわしくないということです。
私はいつも言うように紬に偏見を持っているわけでもなく、今日も紬を着ていますし、その辺の呉服屋の主より、はるかにたくさん持っていますし、その知識も持ちあわせているつもりです。

その場にふさわしい装いをしようというのがお洒落ですし、常識でしょう。

時代が変わってもこうしたことだけは正しく次世代に伝えておかねばならないと思っています。

紋章は、非常に特長ある日本の伝統文化であり、日本人としては正しくそのことを認識していただきたく、そのためにも売り手はよく勉強してほしいのです。

紋章の歴史は諸説あるのですが、日本独自の紋章が作られたのは平安時代以降で、公家が牛車に付けた目印からだと言われています。

ですから関西はことさらこの紋のことにはうるさく言いますし、
ほとんどの家に家紋と女紋の両方があります。

女性が家紋を付けることはまずありませんし、その女紋をもって嫁ぐというのがしきたりとなっています。

ただ嫁ぎ先の女紋とお嫁さんの実家の女紋が違うということになるので(別に構わないのですが)、嫁ぎ先に合わせるという方もおられます。

ただこんな話があります。あるお家で、お孫さんの成人式の振袖に紋を入れる(振袖はミスの第一礼装ですので、私どもでも紋をお入れしております)ことになり、お母さんの女紋を入れようとしたら、お祖母さんが、この家の女紋は私の紋だといいだして揉めたそうです。

聡明なそのお孫さんはそれなら私は自分の紋を作ると言って全く違う新しい紋を入れられました。

これは何も間違っていません。女紋は元来替紋といって家紋以外の紋の一つですし、歴史の上では、その時代の当主によっては家紋も変えられたところもありますので、一つの家にいくつか紋があることは何ら不思議なことではありません。

女性はいわばお印のようなもので、自分のお好きな紋をおつくりになってもおかしいことではないのです。

当家でも母も祖母の代の女紋を替えましたし、私の家内と娘はまた違う紋を使っています。

銀座の店でもお客様の御紋があまりにも重い、いかつい紋だったりする場合は、この女紋のことをお教えし、新しい自分の御紋をおつくりすることをお薦めしていますが、まずほとんどの方がその通り、新たな自分の紋を作られます。

ただこの女紋という習慣はどういうわけか大体愛知県東部あたりから東には伝わっていません。

類推するところ、家康が江戸に入って、京都の公家との距離をおいたので、公家文化が多くは流れなかったことと関係があるのでは無いでしょうか。

家康は以前にもお話しした通り、賀茂神社の葵紋をもとにした三つ葉葵という紋をつくり使ったわけですが、宮中から位の高い桐紋を薦められても断ったのです。

秀吉が公家文化に憧れ宮中におもねって、あまりに近寄ったがために色々と口を出されたり、おねだりされたのを脇から見ていた家康は、公家と一線を画し、江戸から京都をリモートコントロールしようとしたのでしょうし、現に3代家光以降、慶喜までの間、どの将軍も京都に行きませんでした。

そうしたこともあって公家から始まった京都の文化が、当初江戸には多くは伝わらなかったのかもしれません。

現在でも東京の呉服屋でこの女紋のことを詳しく言える人がいません。

今は人の移動が激しく、東京に嫁に来る人、関西へ嫁に行く人も増えており、
時々この紋のことで戸惑われることがあるようです。

昨年も京都の婚礼で東京から来られた方の色留袖に、違い鷹の羽がそれも刺繍紋でついていて、色留袖に刺繍紋というのもいかがなものかと思いましたが、違い鷹の羽では本当に侍のような奇異な気がします。

女性はやはり優しい嫋やかな紋がふさわしいと思います。

紋のことを知らない呉服屋は本当に多いですし、特に若い販売員などほぼ何も知らないままに口から出まかせを言っているのを良く耳にします。

紋を入れるのはとても大事な仕事で、間違うと大変失礼どころの話ではないので、私どもは大変気を使って仕事をいたします。

いい加減だなと思ったりおかしいと思ったら、よく知る人にご相談ください。

紋のことでお分かりにならないこと、お迷いになることがあれば、いつでも遠慮なく私共へお尋ねください。

考えれば祖父は黒紋付きを染める仕事、父と私の代が黒留袖を作る仕事で、90年ほど紋には縁の深い家です。

こうした知識なども次世代に正しく伝える使命があると思うこのごろです。

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紋の話となると、私などは西日本を中心に全国を回っていますが、ほんとそれぞれで戸惑うことも多いですね。その場合はその地方の習慣を売場のベテラン社員さんに聞いておくわけですが、それでも、お家によってかなり考え方の違いがある場合もあります。奈良県の一部では、家紋のついた黒留袖を結納の時におさめる習慣があるといいますので、その場合は女紋では無いようです。第一礼装だけは嫁ぎ先の紋という所もあります。女紋の場合は丸を付けないとか糸輪にするとか、ほんとうにバラバラでこちらも困ってしまうこともあります。おっしゃるとおり、女紋に対する理解は年代と共に希薄になってきているようですが、これはお嫁入り道具を結婚前につくらなくなったことと深く関係しているように想います。
 紋の話は本当に微妙な話なので、地域の習慣をよく知り、着物を見て、お客様の御用途を詳しくお聞きしないと正しい判断は出来ません。そのために、地方の呉服屋が必要なのですが、それもなかなか望めないとなると、私達が勉強して、お答えするしかないかも知れませんね。まずは、お客様がご紋と共に、お住まいの地域の文化や習慣にご興味をお持ち頂き、紋を通じてお家の歴史や伝統などに思いを致すことが必要なのではないかと想います。その当たりも西と東では違いがあるようですが。
 これは余談ですが、当家の紋は丸に三つ柏なのですが、600年くらい前に枝分かれした岡山の萬代家の紋は丸に並び矢でした。同じ家系でも紋が違うのだな、と非常に興味深く思った物です。

萬代様

そのとおりですね。地方にはそれなりの習慣もありますから、注意しないといけませんが、
それを伝えるべきその家の習慣や文化が団塊の世代あたりから途絶しようとしております。

それをつなげるためにも、我々が勉強をしなければなりませんね。
ただ本当に紋章のことに興味を持っていただくと面白いことがわかったりしますね。

そのことをお客様にお伝えするのも我々の仕事です。

私も三つ柏の事について調べました。柏は柏手があるように神に関係する家を意味するそうで、仏教系ではなく、神道系の家である、ということが解ってきます。萬代家は今までお話ししていましたように堺が発祥の地ですが、堺というのがどういう土地であったかを考えるとそれからいろんな事が解ってきます。堺は反仏の土地でした。ですからキリシタンも多かったし、漢字の使用も拒んだのです。神徒である堺と天皇との関係はどうだったのか。利休の動きをみればそれも解明できると思います。歴史学者の書いた書物を見るよりも、家紋と地域の歴史をじっくり考えて見ればいろんな事が解ってくるのです。歴史とは為政者の立場からみるのではなく、自分中心に見ればもっと楽しいと思いますし、故郷や国に対する愛情も湧いてくると想います。
 萬代屋宗安は別名、渡辺新太郎宗安です。渡辺一族というのは大阪の本町あたりにあった、渡辺橋周辺に居住していました。この人達は渡辺綱=源氏を始祖としています。ではなぜ、関ヶ原の戦いの時に源氏たる徳川につかず、石田三成についたのか。ここが面白いのです。石田三成はキリスト教を庇護していた。だから、源氏よりもキリスト教を取ったのではないか。では神徒たる堺衆がなぜキリスト教の為に命をかけたのか。それは神道=キリスト教=ネストリウス派(景教)であったとの仮説がなりたつわけです。まだまだ話は続きますが、紋と姓で、これだけ、楽しめて(^_^;)、故郷とご先祖に対して想いをいたせるわけですから、日本人にとってこれほど大切な事はないと想いますよ(^_^)

地方における紋の所在分布ですが、面白い事実があります。
平家の土地とされている下関に平家の紋である揚羽の蝶がほとんど見られないのです。
私の経験上、揚羽の蝶は関東に多く分布しています。
これは何故でしょうか。
下関には平家を意味する『平』を冠する姓もあまり見られません。
これも不思議です。
私が考えるところでは、馬関の地では、多くの平家の女性が壇ノ浦の戦い以降、遊女に身を落とした。
下関(馬関)は日本の遊郭と髪結い発祥の地だという説もあります。
平家の男性はことごとく死に、あるいは敗走し、女性はそのような立場に立った。
だから、揚羽の蝶や平姓を隠したのではないか。
もちろん、私の勝手な仮説ですが、紋というのは面白いモノですね。

萬代様

まさにおっしゃる通り、紋章は歴史を探る手がかりになります。
特に特殊な紋、その分布などで、先祖がわかる時があります。
そういうことに興味をもって見ていただくとに日本文化の奥深さに気が付くのですがね。

貴兄もいつもおっしゃるように、日本人が日本を知らない、日本の歴史を勉強していないなど恥ずかしい話です。特に政治家に教養が無いのは国辱ものです。

上級国家公務員試験には、日本史や美術史を加えるべきですね。

泰三さま

はじめまして、新米教師と申します。
いつも拝読し、着物のしきたりについて大変参考にさせていただいています。

さて、紋のことでいくつか心配があり、質問させていただきたくコメント致しました。

教員という立場上、礼装用に何枚か付け下げ訪問着(重めの付け下げ?)と、色無地(紋なし)を用意しましたが、こちらでこうした着物には紋があってしかるべきと知り、紋入れをすることにしました。しかし、当家はもともと日本人でないため、両親の家系ともに家紋も女紋もありません。
そこで私紋という形で、新たに重ね梅紋を使おうと考えています。

ですが、これから留袖、喪服などを作ることも出てくるでしょうが、結婚前に作る場合黒留袖などの礼装に、私紋を入れてもよいのでしょうか?
また、重ね梅紋は「重ね」という言葉がつきますが、不祝儀に使用してもよいものなのでしょうか?
(もし不祝儀に向かない場合は、私紋自体を捻じ梅紋にするつもりです)

不躾ながら、ご回答いただければ幸いです。

住まいは名古屋市ですが、当地の習慣等を呉服店で確認したところ、あまり納得のいく回答が得られなかったため、失礼ながらこちらへ質問させて頂いた次第です。

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