立方と地方

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伝統芸能をご存じの方はお読みになれるでしょうが、これは「たちかた」と「ぢかた」と読みます。

友人に「りっぽう、ちほう」と読まれて、まあ知らないから仕方がないとはいうものの、如何に今の日本にこうした言葉が平常縁のない言葉になっているかということでしょう。

日本舞踊で言えば、踊る側を立方、音楽を担当する側を地方と言います。

全般に演奏する人を地方と言いますし、お囃子も同様に地方です。

以前にもこのことには触れたのですが、立方と地方はどちらがある意味上位かということですが、一概には言えないのですが、本当は地方が上位であるということらしいのです。

ところが最近は事情が違っています。

歌舞伎や日本舞踊などの後ろで演奏されている邦楽には、色々と種類がありますが、歌舞伎にとって重要なものは、長唄、義太夫、常磐津、清元です。

長唄は正しくは江戸長唄と言って、歌舞伎舞踊には欠かせない音楽です。

歌舞伎に舞踊というジャンルが出来て自然発生的に生まれた音楽と言われており、全体の家元というのは存在しません。

杵屋とか今藤とかの流派がそれぞれ宗家とか家元とか名乗っています。
長唄は定間(じょうま)と言って、決まったリズムの中で唄います。

しかし義太夫、常磐津、清元は浄瑠璃と言って、唄うと言わないで語ると言いますし、必ずしも一定のリズムが常にある訳ではありません。

浄瑠璃でも舞踊曲はたくさんありますが、長唄とは明らかにフィーリングは違いますので、語り物のとしての味があります。

語りの味があるから良いのであって、それが長唄のようになっては意味がありません。

ですから昔の名のある役者さんは、浄瑠璃の太夫が語るに合わせて踊るのが当たり前でした。
語り方に文句をつけるなどあり得ませんでした。
だからこそ地方としても力量の見せ所で、それに報いる立方との息の合った舞台が見どころでした。

ところが最近は立方が、自分がこう踊りたいからこう語ってくれと地方にいちいち注文を出すのだそうです。

本当は立場が逆なのですが、今の歌舞伎を見る人は地方のことをほとんど知ら無い人が多く、どうしても立方の人気だけでお客が入りますから、勢い立ち方が立場的に優勢となっております。

力のある立方は、地方のメンバーを指名しますから、どうしても立方の言うことを聞かざるをえないという実情があります。

そうなると、語りの味が薄れ、単なる踊りの地として、長唄に近いようなものになってしまいがちです。

最近の舞台で清元などは踊りの地がほとんどですので、仕事をもらうためにもどうしても立方の言うままに語るということになって、いわゆる味のない語りぶりが私は大変気になっています。

清元や常磐津の味を出すためには、役者がその語りに合わせて踊るということが本当でしょう。

昔の名優は、地方を育てるという意味もあって、その演奏にああだこうだと口を出さなかったそうです。

いわばそういう親分がいてくれたので、地方にも名人がたくさん生まれたのだろうと思います。

今のままでは、地方が委縮して良い舞台になりませんね。

芝居はたくさんの人の力で作り上げるもので、立ち方だけでできるものではありません。そうした裏方への思いやりが、感動を生む舞台を作り上げることになるのではないでしょうか。

何かどんな世界でもそうした優しさや思いやりのあるトップが少なくなっているということですかね。

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とても共感出来る内容です。 たまに弾き唄いの仕事をさせて頂くのですが、立方の言いなりになる人が多く、とてもストレスが溜まっておりました。個人的な事で申し訳ごさいません。

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