旦那イズム

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私は過日国立で清元の演奏会に出演しましたが、40歳代に2回出ていますので今度は3
回目なのですが、今回10数年前と本当に違うなとつくづく思ったものです。

かつては銀座の老舗のおやじさんとか、上場企業の社長や重役もこうした邦楽のお稽古をしている人も多かったものですから、社員、取引先、花柳界、銀座のクラブのママなどが見に来ていて、楽屋も華やかなものでした。

その人の出番が終わるとさーっと潮が引くように、帰って行き、また違う出演者の関係の新しい人たちがぞろぞろと入ってきますから、ロビーもにぎやかなものでした。

今回は宮川町、先斗町が出演したので、舞妓、芸妓もたくさん来ていましたから、それなりにロビーも華やいでいましたが、そうでもなければそれほどの賑わいはありません。

例えサラリーマンでもそうしたことができる余裕があったということもありますが、親分のような存在の人が随所におられたものです。

特にかつての銀座のおやじさんたちは、お稽古事をされてる方が多く、そういう人たちが銀座鞍馬会という邦楽の発表会を催されているのですが、当時は清元一番多かったのを覚えています。

ところが今では様変わりで、特に邦楽でも段物というちょっと長いものをお稽古している男の人は激減しています。

当然ですが稽古場もお弟子も減る一方です。

かつて江戸時代は、小唄や清元などに商売をしている旦那などが、色っぽい女の師匠などに習いに行っていたようですが、今では殆どが女性のお弟子さんです。それも相当高齢の人が多いのです。

いわゆるそういう旦那的な存在が現在の日本では希薄となってきました。

旦那というのは仏教用語で、サンスクリット語のダーナが語源だそうです。

元来与える、贈るという意味で、布施、施しとも訳されます。

日本、中国では寺院、僧侶に布施をする、お施主、檀家の意味で、主に僧侶の用いる言葉でしたが、時代が下がって生活の面倒を見るパトロンの様な意味でも使われています。

面倒を見る人、お金を出す人という意味で、奉公人から見た主人、商人から見たお客などもそのように呼ばれます。

ただこのダーナというのは無償の施しであって対価を要求するものではありません。

金を出したからこうしろ、ああしろというのでは本来の意味での旦那とは言いません。

大きな愛で包み込むような存在でなければなりませんが、そういう雰囲気を持つ人が本当に少なくなってきました。

行政が何かの補助金を出してもその成果を求めるというのも旦那的な行為ではありません。

何かの目的をもって人を育ててあげたいとか(結果的に上手くいかなくても)、善意が大切で、最初から見返りを求めてはいけません。

それが本来のパトロンです。

またそうしたパトロン的な存在の人は下の物への面倒見、思いやりがあり、全体を包み込むような雰囲気を持っておられました。

今代が替って、そうした人たちがほとんどおられなくなり、特に文化に対してのパトロンは極端に減っています。

高齢の女性がお稽古場をささえ、お金のかかる会でも出演していただけるから何とか今は成り立っていますが、10年先にはそうした人たちも激減していくのではないでしょうか。

多くの和文化(だけではありませんが)を支えるべきこれといったパトロンがいなくなるとき、その文化が消滅するというのではまことに惜しいことですし、何とか維持していくために、いわば小口のパトロンを増やすしかないでしょう。

キモノ業界で言えば、本物を購買していただく人たちが地道に増えて行ってもらえるような活動を怠らずしていかねばなりません。

安物を高く売るようなとんでもない流通を忌避して、本物に目が向くような啓蒙活動を心ある人でもっと推し進めていかねばなりません。

たくさんの人がそれぞれキモノ文化のパトロンとなっていただけるような思いを持って、
真摯に真面目に良いものをお薦めしていくことです。

それにしてもかつてのような旦那さんがこれから出てこないものでしょうかね。

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