銀座に恩返し

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銀座は、戦後間もないころは焼け野原だったのですが、まさに急速に復興し、今上天皇のご成婚を契機に、一種のキモノブームが起こり、銀座の呉服屋さんで良いものが急速に売れるようになってきました。

銀座の呉服屋さんの良いお客さんというのは、戦前は新橋の花柳界のお姉さんで大体老舗と称するところは、そういうところをお客さんとして創業しています。

それが戦後の急激な復興需要で、特にオリンピックの公共投資もあって、東京は高度経済成長の中心都市として発展し、高額所得者が多く集まる街となり、高級呉服も一般の人でもどんどん買われるようになりました。

私の父は、戦後間もない頃に当時誰も作らなかった高級なキモノを作り、特に絞り、刺繍、金彩加工を駆使した豪華な振袖などは紛れもない最高のキモノでした。

それを求めて銀座の小売屋さんが京都にお見えになり、それ以来こうした銀座の呉服屋さん(今は無きちた和、きしや、新松など)に可愛がっていただき、京都の問屋としては非常に珍しいですが当初からいわゆる関東好み、もっと言えば銀座好みのキモノを作り納めてきたのです。

とくに「きしや」さんは花柳界のお客様から徐々に政財界の大物の奥様という風に変わって行き、その中には皇后陛下のご実家である正田家もおられました。

正田家の玄関先で嫁がれるときに、正田家のお母さまがお召しになっていた色留袖は先代の作品でした。

実際「きしや」さん「ちた和」さんを通じて、宮中初め大変有名な方々に泰三の作品を納めていただきましたし、父はそれぞれの初代に公私にわたって大変可愛がって頂きました。

そういう事情で私は若いころから銀座と縁があり、私は塾に進学したのも、そのことと関係が無いとは言えません。

私はその両店の2代目社長に非常に可愛がっていただきましたし、清元のお稽古し始めたのも、お二人の影響です。
そういうわけで親子2代に渡って、銀座とは大変縁が深く、多分京都の問屋では一番深く銀座の変遷を見てきたと思います。

そうした老舗呉服屋は、バブル経済崩壊以降の下降局面での経営を間違い、次々姿を消していったのですが、それにとって替るように、新興の呉服屋が台頭してきて、かつての銀座では考えられないような品のない商いを展開し、苦々しい思いをしておりましたが、案の定、あっという間に次々と姿を消していきました。

従来の老舗の商いというのは、その土俵に胡坐をかいて来たようなところがあったことは否めませんが、お客様と深く長い付き合いをしてきたもので、決して押し売りもしませんいし、ローンで無理に売りつけるようなことはしませんでした。

お客様との信頼関係を構築することが大切であるということは、別に老舗だからということでは無く当然のことですが、どうも最近銀座とは思えない強引な商いが目立ち、銀座のステイタスが傷つけられて来ました。

かつてはそれぞれの呉服屋さんにはそれそれの好みがあって、お客様はその好みで色分けされていました。

当然ですがそれぞれの店がそうした品ぞろえをするためのリスクを張っていたのものです。

それが新興の店は、どこにでもある紬や作家ものなど、銀座には似つかわしくないものを扱ってきました。

銀座に行けば、やっぱり良いものがあるという風に思っていただけるような店づくりをするべきでしょう。

私が銀座に店を出させていただいたのはまさに神の思召しだと思っておりますが、可愛がっていただいた店が次々なくなって、その代わりができる等おこがましいですが、銀座という街に相応しいキモノを提案することを使命と心得ております。

長い間銀座と付きあわさせていただき、思い出も深いこの街に、ある意味恩返しのつもりでこれからも尽力しなければならないと思うこのごろです。

泰三のキモノはすなわち銀座のキモノであるという自負をもって、これからも上品で美しいキモノづくりを目指してまいります。

是非戦後の銀座のセンスを引き継ぐ泰三のキモノを一度ご鑑賞ください。

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