本年も28日をもって、本社、銀座店 ともに営業を終了させていただき、年末年始のお休みを頂戴いたします。 1年間のご愛顧に心より御礼申し上げます。 新年は5日から始めさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。 今年は拙劣極まりない政治のせいで、景気は下降し、いつも嘘ばっかり言っていた日銀でさえ、景気が悪くなっていると言わざるを得ない状況です。 特に秋以降の落ち込みはかなり
2012年12月アーカイブ
勘三郎さんの本葬が執り行われ、テレビでその様子が放映されました。 三津五郎さんの弔辞には目頭が熱くなりました。 これからの歌舞伎界だけでなく、日本の文化として大変な逸材を失った思いです。 心からご冥福をお祈りいたします。 ところで彼が良く言っていたことですが、昔ラジオの子供相談室で、無着成恭氏が話したことが忘れられずそのことを座右の銘に思っていたようです。 どんな質問に答えたの
私は来年もう数え年では65歳で、決して若くないのですが、年を取ったから余計に口うるさくなったとか、頑固になったとかということではなく、最近の日本を見るにつけ本当に心配になってきます。 この間もぼやいていたのですが、最近は太平洋戦争の開戦日、つまり真珠湾攻撃で口火を切った日米戦争が始まった重要な日を多くの若者が知りません。 原爆投下された、8月6日、9日も何の日か答えられないので
近年、キモノ業界でも団塊の世代前後の人が次々と現場を去っていて、寂しい思いをします。 年齢的には65歳位が勤め人としてはピークだということで仕方がないのです。 ただ問題はこうしたベテランは、この業界の良い時代のことを知っているので、物の善し悪しを見分ける眼や、商いに関しての常識や見識を有しているわけで、それが現場を去ることは、今のキモノ業界では大変な損失です。 デパートや専門店
近年、地域の一番店ともいえる呉服専門店が次々廃業、あるいは破綻し、また地方デパートも閉鎖されたり、呉服売り場に筋の違うような問屋が浸食してきたことで、上質な良いキモノや帯を消費者が見られる機会がとても減っています。 実際泰三のキモノも、問屋としては売り先が無く、欲しいと思われる方がおられても見ていただける流通がありません。 上物の生産をしてきたメーカー問屋もそれで苦戦しているの
昨日の選挙は、マスコミ報道よりももっと民主党にとって厳しい結果でしたね。 本来、有言実行であるべき政治家が大ウソをついてしまった報いがあるのでしょう。 民主党は、色々細かなことでこうした、ああしたと言ってはみても、この国の構造変化に何も手もつけられ無かったということで、これは理念先行で、肝心のそのための戦略先述が何もなかったということでしょう。 3年目の選挙はいったい何だったの
時代劇がテレビでほとんど見なくなり、まあたまに「大奥」だとかちょっと時代劇というのではないところに興味を覚えさせるようなものが作られますが、水戸黄門や暴れん坊将軍、子連れ狼、必殺仕掛人などなど、時代劇の連ドラが次々と姿を消してしまいました。 12月14日というのは旧暦元禄15年12月14日に、赤穂浪士47士が吉良上野介の屋敷に討ち入って、主君の無念を晴らしたというのは、忠臣の鑑
堺屋太一が命名した団塊の世代は、昭和22年、23年、24年生まれの3年間を言いますが、今年昭和22年生まれが65才となり、これからの2年で、この世代が続々と定年を迎え現場を去っていくことになります。 キモノ業界でも、問屋などに勤めていた人が、次々と退職しています。 これは年金が満額出る年齢と関係があるのですが、高卒の人は、私と同じ昭和24年生まれだと63歳で満額支給という特例が
私は大正生まれの、戦地で九死に一生を得て帰還した父のもとで、いわゆる団塊の世代として生を受けました。 今の会社は父が創業者として立ち上げたもので、今年で65年、祖父は黒染工業組合初代理事長で本来そこを継ぐべき立場の父でしたが、模様物をやりたくて、祖父と袂を分かちましたが、その流れで言うとそろそろ100年なのです。 祖父は当然ですが明治生まれですし、我々はそういう年代の父や祖父を
昔に比べてキモノの生産は激減し、行く先知れぬ夜の道のような様相で、つぎつぎと廃業が増え始めていますし、問屋やメーカーの社員も次々とこの業界を去り始めています。 今日も私と同年のある製造問屋のベテラン社員が今月で辞めると言っていましたし、次々と私が若いころから付き合ってきた同業者がいなくなっています。 非常に私自身も寂しい思いをしていますし古き良き時代の最後の方にこの業界に入り、