改革とはなんでしょうか

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最近自民党が、農協改革をしようとしています。
JA全中が地方のJAを指導監督しているという形態を改めて、もっと地方の裁量権を拡大することで、活性化を図ろうというのです。

そんなことをいうのならすべての官庁にも同じことが言えますね、世間知らずで風の読めない教養のない中央官僚が、地方自治体の箸の上げ下ろしまでああだこうだという体質が何も変わらないからこの国の閉塞感が増すばかりなのです。

そんなこと何も出来ないくせに、農協に改革しろなどとは片腹痛い思いですな。

農協という組織はまさに戦後自民党政治の核となり、票田だったわけで、その恩を忘れた思いやりや優しさなどこれっぽっちもない官邸の所業には、今の政治の本質を見る思いですし、全中の権限を薄めてもそれで農業生産が増えるとはとても思えません。

現在の農業を支えているのは明らかに高齢者であって、そういう人たちに競争意識を持ち込もうなどというのもあほとしか言いようがなく、机上の空論そのものでしょう。

農協は確かに役所化しているかもしれませんから、その体質を改めるということは課題でしょうがこれまでのことを考えると、あまり拙速な改革は必ず禍根を残します。

地方のJAでも成果を上げていうところもあるわけですから全中がすべて悪いという言い方は当たりません。
問題は自民党の無能極まりないこれまでの農政であって、その失敗を全中に押し付けるのは卑怯者の所業です。

全中という存在があっても、改革することは可能です。そのためによく話し合うことが大切ですが現政権はあまりにも教養がなく、人の話を聞きません。

小泉改革もそうでしたが、アメリカの手先の超無能経済学者のTのカス金融政治で、庶民の貯金の金利で生活する希望が失われ、以降も机上の空論で失敗続きの金融政治が続いています。

変えるということは必要ですが、だれのために何のためにということが一番の観点です。

私が何かを変えるときには、いつもやろうとしていることに正義があるのか、利他なのか、自利ではないのか、やったことで何がどう変わり、継続していけるのかというようなことを自分に問うて来ました。

改革というと聞こえはいいのですがややもすると机上の空論になり、公の幸せとは別のところの満足感を得ようとする、つまり自分にとって手柄だとか功績になるというようなことになりがちです。これを無能といいます。

今の政権はその色合いが非常に強く、我々のような長い歴史の中にある文化は全く理解されませんし、急激な改革など沿いません。

しかし業界内部の話では、早急な改革が必要で、金もろくに払わないような商売のイロハも知らないような流通業者が跋扈し、消費者目線ゼロの流通業者や、それと結託して超低品質なものを平気で作るメーカーなどはいち早く淘汰されない限り、先人の苦労して作り上げた文化は音を立てて崩れています。
特に振袖の質の悪化は目も覆うばかりで、初心者だと思ってだましにかかる誠意のかけらもない商いに未来はありません。

改革には勇気が要りますが、体力も必要です。ただ申し上げたように見識ある変化を求めてほしいと思うばかりです。

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