伝統音楽

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最近私は清元の他に新内節のお稽古を始めました。

共に浄瑠璃という語りの音楽ですが、ルーツは同じです。

江戸時代の初期に京都に一中節と言う浄瑠璃があり、その創始者の都太夫一中の弟子の、

都国太夫半中という人が、江戸に出て豊後節というものを創始します。

これが大ヒットして、宮古路豊後掾と言う名をもらいますが、心中ものをテーマにしたものが多く、それがために江戸市中で情死が増えたと言う事が現実にあって、時の幕府から禁止されてしまいます。豊後掾は心ならずも京都に帰るのですが、この人の弟子がたくさんいて、新たな浄瑠璃節を創始して行きます。

常磐津節もその一つです。宮古路文字太夫という人が常磐津文字太夫と言う名で起こしたものですが、その弟子が富本節を、そしてそのまた弟子が清元節を創始します。

その他にも、宮園節、富士松節などが創始されていきます。

こうしたものを豊後系浄瑠璃と称します。

宮園節は最初は園八と言っていました。

富士松節から鶴賀節が出て、鶴賀新内という人が今の新内節を興します。

今では富士松、鶴賀、新内の3つを含めて新内節と言っています。

一中節も今は東京に移りましたが、こうした浄瑠璃は江戸を中心に栄えましたが、これは歌舞伎と関係があります。

歌舞伎はその演劇の形式を、能、狂言に倣っており、芝居の合間に狂言に変わり歌舞伎舞踊を取り入れるようになりました。

当然伴奏曲が必要で、それがために多くの新しい音楽が生まれ継承されていきました。

最たるものが長唄です。正式には江戸長唄と称します。上方の地唄と双璧をなすものでした。

そして常磐津、富本、清元にもそうした舞踊曲が作曲されます。

富本節は清元節の隆盛で下火となりましたが、近年復興に努められているようです。

そしてこうした音楽が市中に持て囃され、多くの庶民が稽古をしたものです。ほとんどが男性でした。

20年くらい前までは、銀座の旦那衆は清元をよくお稽古していたモノです。

ところが近年、本当にこうした伝統音楽をお稽古する人は、特に男性が激減しており、

これからこうした音楽活動をして行く人にとっては大変厳しい状況となっています。

ですから色々な他の西洋音楽などとコラボをした演奏活動をするなどを画策する人も増えていますが、基本的にはこうした伝統音楽を正当にいかにして伝えて行くのかが問われています。

これは伝統工芸と全く同じで、このままでは後継者、つまりプロが育たない音楽が散見します。

今の人に、長唄、常磐津、清元等伝統音楽の話をしても正しく答えられる人はほぼ皆無に近く、こういう状況の中では、本当にこの先お弟子だけで生活ができるというような人はほんの一握りだろうと思います。

ですから勿論啓蒙啓発活動は続けなければならないとはいうものの、やはり時代に合わせた新しい道を模索していかねばならないとと思います。

西洋音楽とのクロスオーバーも含めて、新しい邦楽を作りだすことも必要です。

大和楽という近代につくられた新邦楽がありますが、大蔵財閥の二代目の総帥大倉喜七郎氏によって創設されたのですが、この人は色々な事に造詣の深い趣味人でした。かつてはそうした美術工芸だけでなくこうした音楽界にも重要なパトロンの存在がありました。

そう言う人たちが伝統音楽の理解者であり勿論自らも名人の人も少なくありませんでした。

残念ながら、現在ではほぼ皆無といえます。経済人の無芸大食は極まりなく、とてもこうした音楽のパトロンとなれる資格もありません。

そんな中にイタリアオペラのファンがいたりしても日本の音楽を全く知らないという情けない国なのです。

日本を知らない日本人というのは本当に顕著で、これは教育に寄るところが大きいのですが、最近若い人の中に興味を持つものが増えているという現実もありますし、いかにして導いて行くかということに、時間はかかっても地道に取り組んで行く必要があろうかと思います。

私が始めた新内節の師匠は京都で女性でただ一人の新内奏者ですが、女子大生等若い女性に三味線を教え乍ら邦楽のお稽古の楽しさを教えておられますが、お稽古にあまりお金を必要としないように工夫されており、尊敬に値します。

伝統音楽、伝統芸能、伝統工芸など先人から伝わる真の日本の文化を何とか残していきたいものだといつも乍ら思うものです。

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