中国との交易

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1年ぶりに上海に来ております。

京都本社の(株)染の聚楽は先代以来安土桃山時代後期から江戸時代初期の絢爛豪華な衣装をベースにして、華麗な作品作りを手がけており、特に縫箔での表現では他の追随を許さないものと自負しております。
総刺繍のキモノも過去からずっと手がけておりました。

そんなおり、たまたま昭和49年に、機会があってあり中国の刺繍の技の視察に訪れて、その精緻な秀逸な技に出会い、あまりの美しさに息をのむ思いでした。
この技をキモノに取り入れれば、いかに美しいキモノが出来るだろうかという思いで取り組み始めたのですが、そこからが大変でした。

中国の蘇州の刺繍は今でも当社がお願いしている名人クラスの技は、世界一だろうと思います。
その特徴は、極細の糸を撚らないで挿していく中国でいう平綉(ぴんしゅう)にあります。

刺繍糸は極細の糸12本で1本となっていて、日本ではそのままの太さで縫ったり、半分ずつを撚り合わせて使ったりしますが、蘇州の名人クラスはその本当に見えないくらい細い1本を使って動物の毛並みなどを表現します。

風景や動物を刺繍で絵のように仕上げていくのが当時の刺繍の用途でしたので、刺繍の技の種類も少なく、キモノを刺繍するために必要な技は教えなければならないと思ったら、実はほとんどがあったのです。

考えてみればかつて皇帝の衣装などには凄い刺繍が施されていて、金糸銀糸の仕事も多かったようで、金糸ももとは中国から伝わっています。

私が訪れたころは完全な社会主義国で、贅沢な衣装など論外で、金駒縫いなどは全く使われていなかったのですが、技としては伝えられていて、菅縫い、相良縫いなども問題ありませんでした。そこに日本で使われている技法なども加味して、泰三の世界を作り上げてきたわけです。

キモノというものが何かを教えること、仕事をするときにその上で汁飯を食べたりするようなことがあったり、仕事に取り組む基本の姿勢や、刺繍台への張り方など、色々厄介なことがありましたし、刺繍糸の質がとても悪く、それに中国人の感性があまりにも違うので、失敗もあり、結果当社では日本で糸を染めて、すべての技法などの指示書を添え、単に蘇州には技だけを求めるという形にしました。

これにはとても手間もかかりますが、最高級品を作っていくには手を抜かないことが肝要です。
後から始めたコピー屋などでこんなことをしているところはどこにもありません。

色々安物屋が大挙して入ってきて、品質にも影響を与えたり、大変なことも多々ありましたが、今の今まで続けてこれたのは(あとはみんな撤退したり、倒産したり、ベトナムに行ってしまい、より品質の悪いものになっています)、徹底してその高品質にこだわってきたからでしょう。

確かにコストも随分上がりましたが、それでも絶対日本ではできないことをしてきたことで、つづけてこれたのでしょう。

残念ながら近年日本人の文化への思想が変化をして、潤沢に作ることがかなわず、本当に悔しい思いですが、今日の今日まで少ないながら作ってこれたのは、アンテナショップの開設が寄与しているのは確かです。

ただいつも言いますようにこれからのことが読めませんし、生産者側の高齢化などが一段と進むだけに、手張りでの生産は私の年齢もあって、そろそろ終焉に近いかなと考えています(手を落とせば可能ですが、それでは私がやってきたことに意味がなくなります)。

お誂えがあれば今ならしばらくは対応できそうですし、そういう方向でものを考えていることを中国の現場に伝え了承を得ています。

今の管理工場の社長が、私が求める品質こそ蘇州の刺繍文化であり、それを自ら中国人が貶めてくのは嘆かわしく、私が仕事を出しながらその技を守って行きたいという思いを理解をしてくれて、品質維持向上に努めてくれたことが続けられた原因でしたし、彼らへの感謝の念は一生忘れませんし、終生の友人でもあります。

良い仕事はお互いの理解あってこそで、儲けるために値切り倒すような下劣な輩が続けられるわけが合いません。

それはこれからもずっと同じことです。時代を継がれる方は、誰のおかげで仕事ができるのか、仕入れ先や作り手への思いやりと感謝を忘れないで頂きたいと思います。

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