モノづくりの精神

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過日銀座のあるビルのイベントスペースで、輪島塗の若い作家の作品展をしてたので覗いたのですが、従来の輪島塗とは思えない、民芸的な、どちらかというと食器中心の作品でした。
輪島だと言わなければ、会津、山中、春慶、根来など、どこか民芸的な塗りの産地のものかと思うようなものばかりでした。

輪島塗も京蒔絵に匹敵する高度な技を有したものづくりで著名ですが、
ただ現実には美しい蒔絵の道具類が、茶道人口の減少などもあって、生産状況が厳しく、高度な仕事ほど需要が少ないということではキモノと同じです。

私は仕事柄昔から蒔絵のものをよく見ていますが、これほど精緻で緻密な漆芸は世界一であることは間違いがなく、現に欧米人はその価値を高く評価しているようです。

しかしながら骨董の世界でも蒔絵のものは相対的に非常に安いと言わざるを得ません。

つまり需要が少ないということなのですが、その多くの原因が茶道のたしなみのある富裕層が減っているということなのだろうと思います。

ですから美術工芸の範疇に入るような蒔絵のモノづくりではなくて、高価ではない民芸的なモノづくりに移行するのはある意味やむを得ないし、今の状況からして当然だとも言えます。

ところでその展示場に若い女性が販売の担当者として立っていたので、少し聞いてみると、その作品の作家ではなくて、その作家の属する工房に弟子入りして修行中の女性でした。

立ち話で色々聞いてみて驚いたのは、その蒔絵を知らなかったのです。ですから高台寺蒔絵も知りませんし、京蒔絵も見たことがないそうです。

実は結構こういう人が今モノづくりの現場にいるような気がします。

先人が残してきた最高の技を誇る作品を見たこともなく、なんとなくモノづくりの世界に入ってくるのです。

高度な蒔絵の技ではない、シンプルな技しか修得しないままに年数が経ると、高度なモノづくりは一生できません。

なんとなく奇を衒ったようなものを考えがちで、こうした人が増えていくと、ものづくりの技のレベルは下がる一方となることでしょう。

食うためにはということはよく理解できても、ものづくりの道を志すなら、いつかは先人が作ってきたような最高水準のものを作って見たいという願望が欲しいものです。

そしてそうした技を逆に民芸に落とし込むと面白いものができると思います。

伝統文化は革新なくして継承できないというのはよく言われますが、そのためにはその技をまずは修得すること、認めることから始めて、それを駆使して、現代の需要にあるものを考えていくのが道筋で、決して技のレベルを下げてはいけません。

それなのに近年それらしいというような張りぼてのモノづくりが蔓延しているのは由々しき事態です。

高級なものを作らないまでも、その存在や技を学ぶことは私は当然だろうと思っています。

若いうちは先人の作品などをよく見るなど当たり前のことですし、その女性にも現存する蒔絵、漆器の名品を見ることを薦めておきました。

自分自身を高めて行こうという気概無くして本物づくりは出来ないのです。

工芸と民芸などという垣根を作ったのは柳宗悦かもしれませんが、これからのテーマはそんな垣根を取って融合したようなモノづくりではないかと思います。

伝統の高度な技を引き継ぎ、かつ現代の用の美にかなうものというモノづくりはたとえ高価であっても必ず受け入れられるでしょう。

名刀鍛冶が作った包丁というのをテレビで見ましたが、その最高の切れ味はかなり認知されているようです。

飾るだけの刀剣の需要は少なくとも、包丁なら世界に通じます。
こうしたモノづくりが技の継承を支えます。

用の美のないモノづくりは出来なくなっても、脈々と流れているモノづくりの精神、最高を目指す気概というものは絶えることなく新しいモノづくりに注ぎ込んでほしいものです。

ただ京友禅や西陣織のような高度な分業制のものづくりの継承は手遅れ感が強く、いずれかなり近い将来最高のものは作りたくてもできなくなるだろうということは間違いありません。残念ですが。

日本のモノづくりの歴史を引き継ぐ若者には、先人を超えて行きたいという強い思いを持っていただきたいと心から願望しています。

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