喪服の話

カテゴリー:

過日FBに喪服を着たときに、衿の色、帯揚げの色、鼻緒の色、男性なら羽織の紐の色、が白なのか黒なのか、いや灰色なのかと言うことについて書いたら、色々なコメントが来たのですが、改めて歴史などを追って書いてみます。

この間は喪服の時の衿や羽織の紐や鼻緒などが本当は白だろうとちょっと書いたのですが、ある業界の先輩から違うご意見を頂きました。
たとえば男が黒の羽織袴で小物を白にするというのは武家の文化で、それはそれで正しいが、今の上時代喪主が結婚式と同じ姿をしていると何となく奇異に思う人もいるだろうし、京都は元々公家文化で、宮中では黒、あるいはにび色が喪の色とされていたので、京都ではその方が良いのではないかとおっしゃっていて、それも一理あると言うわけで、結局今の時代には正解がないと言うことになります。

歴史的に喪服の色について調べてみると、古代の日本はすべて白の衣裳だったそうですが、718年養老律令の中にある喪葬令に、天皇は直系2親等以上の喪には
錫紵(しゃくじょ)を着ると定められているのです。
実はこうした律令はほぼ唐の時代の物を参考にしているのですが、この喪の衣裳については唐書という書物の中に、皇帝は喪服は錫衰(しゃくさい)を着ると書いてあり、それを日本も取り入れたと言うことなのです。ところがこのときに大きな勘違いをしてしまいました。
唐でいう「錫」とは、灰汁処理した目の細かい麻布のことで、それは白い布のことだったようですが、どういうわけか日本人はこれを金属のスズと解釈し、スズ色、つまり薄墨が喪の色としてしまったのです。錫紵の色は、平安時代になると貴族階級にも広まって、薄墨だった色合いも次第に濃くなっていきます。これはより黒い方が深い悲しみを表現すると考えられたようです。
しかしこうした色を着ていたのは一部の上流階級だけで庶民は白だったようです。
ただ室町時代になると、天皇家は別にして殆どがまた白に逆戻りしたそうです。
それはなぜかというと、実は鈍色(にび色)や黒に染めるのは大変難しく手間も掛かるし、それに当時は喪服は穢れるといって一々捨てていたとのことですし、染めるのに手間の掛かるものを捨てるのはもったいないですし、簡素な白に戻ったのではないかと言われています。
明治になって欧米の文化が流れ込んできて喪の色は再び黒と言うことになり、一般にも普及していきますが、それは黒の染料が輸入され黒に染めることが容易になったこと、戦争が続き葬式があまりに多いので白では汚れが目立つから黒に変ったという事情もあったと考えられます。
ですが地方によっては今も白の所も少なくないので、まあ明治以前の喪の色は一部の人を除いて白であったというのが日本の伝統ですね。
ですから現代それがごっちゃになって、喪服は黒だけど小物が白だったり、衿も白、黒、鼠色とまちまちで、統一した基準がないのと同じです。
ただどちらが間違いということではありませんし、自分の考えで小物も考えれば良いと思います。
とはいっても出来ればこうした基本的な事実を知っての上で選択すれば良いのです。
日本の伝統は明治になって本当に混乱し、護るべきことが次々と壊れていったという事実は否めません。
護るべき人がモノを一番知らなかったと言うことに問題があるのは確かです。
そういう意味では今は無教養きわまりない輩が激増していますからもっと恐ろしく、最悪の状況ですし、個々が正しい知識を身につけることが求められます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.taizou.jp/mt/mt-tb.cgi/1781

コメントする

月別 アーカイブ