今年も中国に出張してきました

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以前からお読みの方はご存知ですが、当社は昭和49年に中国江蘇省蘇州の、得も言われぬ素晴らしい刺繍技に出会ってから、従来から総刺繍のキモノづくりでは自他ともに認める日本一のモノづくりをしてきた当社として、その技のすばらしさを見過ごすことなく、何とかキモノの刺繍に取り入れられないかとトライをしようと先代が決め、それから試行錯誤が始まったわけです。

当時キモノに蘇州刺繍をさせていたところは皆無でしたので、向こうにキモノの基本から教えなければなりませんし、京刺繍との融合を考えて、指導し、結果的にすべてこちらでお膳立てをして、刺繍糸自体も送る、刺繍の技法も配色もすべて指示した設計図を送るということにいたしました。つまり技だけを買うということにしたのです。
まかせたら絶対思うものは作れませんし、手間は大変かかっても今でもそれを踏襲し、たまに出張して意見交換しているわけです。

当時後から入ってきた業者は当社がすでに色々なことを教えておいた後だったのでずいぶん楽だったと思います。
ただ残念ながら、当社のようにその技に惚れこんで、あくまで高級なモノづくりに特化した発注をしていたものは、当社だけで、後発は安く早く量を縫えという連中ばかりで苦々しく思ったものです。
また当社のコピーを平気でするところもやってきましたし、現実にとんでもない下品なことをされましたが、爾来45年本当に紆余曲折を重ねながらその品質にこだわり
彼らとしても誇りある仕事を続けてこられたことは、二代目として大変な喜びです。

他の業者は、本当に馬鹿なところが多くてレベルの低いものを作りすぎて、結局自らの首を絞め、予想通り見事に倒産したところも数知れず、ろくでもないコピー屋も手を上げました。残ったところも撤退し、ベトナムで超センスの悪いレベルの低いモノづくりをしています。

良いものにこだわり作りつづけることは大変ですが、必ず需要があると信じ、その物作りを続けるために流通を自ら製造小売りにかじを切ったわけで、製造販売共に人に言えない苦労をしながらもその結果、今でも本当に美しいモノづくりができているのは私の誇りでもあります。

大企業と違って自分一人で何もかもしなければなりませんが、そのおかげで多くの人に出会い多くのことを学びました。私が超現場主義なのはそうしたことの積み重ねから得たことでもあります。

京刺繍は時代が経て、かつてのような総刺繍のモノづくりなど夢のまた夢となり、当社も結果的にもし蘇州刺繍との出会いがなければ、従来からの華麗なモノづくりは不可能だったと思います。

父がやってみたいと思うほど素晴らしい技、特に糸をよらないで刺していく平繍という仕事の出来栄えは、世界最高に美しいと思いますし、そのレベル維持に私はずいぶん彼らに対しても協力したわけで、それを彼らも感謝し、お互い良い関係で長く続けてこらえたのです。

向こうの国の事情もあってこれから先何時までそうした仕事ができるかは分かりませんが日本同様高齢化しているのとその高度な技を引き継げるものがいないようですから、そう遠くないうちに終わってしまうかもしれません。

第一その刺繍の台となるキモノづくり自体の事情があって、良い生地が無くなればその方が先に終わってしまいます。


今ぎりぎり出来そうですが、私自身の高齢化もあり、予断は許しません。

終わってしまう前に是非一度その華麗な技をご覧においで頂ければと思います。

上物やが中国に仕事を出すことに色々と雑音も聞こえましたが、先を読んでいた当社としては意に介さず、異国に当社の職人さんがいるという感覚で、良いものを作ろうということで、今やこれもまた完成された世界として自他ともに認められております。

京都の文化は長い歴史で見ても多くの場所でものづくりがされていたわけで、京友禅とて加賀と協業することができればまた違う展開が見えます。

かつて何もしないで、京都でものづくりが全部できなくなればそれで終わりだなどという高齢者がたくさんいましたが、あまりに無策で無能だと言わざるをえないと私は憤慨していたわけで、自分さえよければ良い、後継者のことなどどうでもいいなどという程度の低い輩が組合の長などをしていたからものづくりの危機が到来したのです。

今の若い人は確かに大変でしょうが、こんな時代だからこそ選択肢は多く、色々なことにチャレンジして欲しいと心から願っています。

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