見渡せば

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私がこの業界に入ったのは学校を卒業した昭和47年のことでした。
クラスメートが殆ど上場企業に就職する中、私は日本橋人形町にあった社員10数人程度の問屋に修業のため入社しました。

2年足らずの短い修業でしたが良きにつけ悪しきにつけ多くのことを教えて頂いたような気がします。

当時はキモノ業界はまだまだ盛業で、京都では基幹産業でしたし、私と同じ様な境遇で家業の後を継ぐ者も多く、勢い同年代の知人や友人も増えましたし、彼らとも酒食を共にする機会も多かったのです。

ところがバブル経済が弾けてキモノ業界も一方的な右下がり状態となって、甘い丼勘定経営を続けていたところは、平成10年くらいから、まるで毎日にように倒産が続き、そのなかにそうした知人もかなり存在してましたし、近年は健康上の問題で亡くなったり業界を去る人も多く、あるいは転業や廃業と言うことで、古くから付き合ってきた若旦那から社長になったような人がもう殆どいなくなってしまいました。

かく言う私もそうは前のようにアグレッシヴに仕事をしているわけではありませんが、まだまだ一応現役ですし、本当にそういう仲間がいなくなったことは残念残念至極なのです。
我々の世代は業界が勢いがあったときを知っているし、いわゆる良い物をたくさん見てきているだけに、そうしたベテランいなくなることは業界全体にとってもマイナスです。
以前なら息子などに継がせたら楽隠居でしたが、今は息子が心配なので辞められないと言う状況で、私のように後継者のない者が羨ましがられる始末です。
それは実はとんでもないことで、私が無能だから後継者を作れなかっただけの話しで、息子を後継者にさせることが出来た親こそ褒められるべきです。

ただ時には養子や婿に次がせるところもありますが、よほど正しく教育しないと育ちも違うので、中には全く教養がなく安物に走りその会社の特徴を壊し、業界をあげつらい、先人の築き上げた文化までを壊そうとする輩が出てきます。

近年キモノに目覚めた人も多いのですが、正しい伝統文化としてのきものに対する知識の無いままに、着始めた人が多く、それを逆手にとって、安物をとんでもない値で売りつけるような商いを何の衒いも無く続けているわけで、特に質が悪いのが着付け教室での販売で、初心者にいきなりローンを組ませたりして、当分キモノを買えなくしてしまいます。

そんな状況ですから私も広く世のためのアドバイザーとしても存在すべきだと最近つくづく思う次第です。

親の後継いで物づくりするなら、親より良いモノを作ろうと目指して欲しいし、安易に売れるであろうと思う道に入ったら先がないと思うべきです。

教養を身につけより高みを目指す若者がもっと出てきてほしいものだとつくづく思うこの頃です。

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