早期発見

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私が入退院してから2週間後に、今度は家内が同じ京大に入院いたしました。

脳のMRI検査の結果、未破裂脳動脈瘤が見つかり、まだ5ミリ程度とはいえ、数年前に見つかったときが2ミリだったこともあって、今後も大きくなる可能性もあるので、今のうちに処置した方が良いだろうと言うことだったのです。

ちょっとリスクはありましたが、家内の場合はクリップで止める方法しか無いと言うことで、開頭手術となったのです。

手術は無事成功したのですが、手術あとの腫れがまだ引きませんし、完全回復までは少し時間がかかりそうです。

私の場合もそうですが、普段から定期的に検査をしていたから早く見つかったわけで、
多少リスクがあっても早い目に処置をすることでいわば寿命が延びると言うことでしょう。

経営でも同じです。おかしな事は大事ごとにならない間に摘んでしまうと言うことが大事です。先送りをすることで取り返しのならない事態になってしまったということが今の時代に、日常茶飯事のごとくよくあるのは、決断力や行動力が著しく低下しているからでしょうか。情けない話です。

そんなわけで泰三の会は9月以降中止しておりますし、年内も開催は難しいのですが、来年からまたご期待にそえるよう再開いたします。

アンテナショップ

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過日大阪の心斎橋大丸が改装なったので、見に行ってまいりました。

今どきのデパートですから完全なテナントによる経営で、実は呉服売り場がなく、老舗の問屋のアンテナショップとリサイクルの店があるのみです。

このデパートは創業時は呉服屋ですが、いわゆる呉服売り場(あるいはきもの売り場)が無くなりました。
ではキモノを売らないのかというとそうではなくて、外商の客対象の店外催事で売れば良いと思っているのです。
そしてこの傾向は全国のデパートに広がっていて、売り場が無くなるという事は、新規客が店内で買い求めるという事が無く、それで良いという事なのでしょう。

こうした事態となると、これからキモノを買っていこうと思っている人たちの購買機会を益々取り上げることとなり、新しいキモノ需要者を獲得したり啓蒙して行くことは不可能です。

老舗製造問屋が自らの名で出店するアンテナショップ形式はいわゆるSPAで、私は事実そうやって銀座で頑張ってきましたし、消費者にとっても一番ありうべき姿だとは思うのですが、直接消費者に発信していくには、それなりの戦略が必要ですし、
出店することのリスクもよく考えなければなりません。

今回視察した店は、いったい誰を対象にしているのかそのコンセプトが明確ではありませんし、明らかにインクジェットで生産されたと思われる小紋に非常識な値がついているような気がしますし、誰を対象にしているのかよく見えません。

この店がうまくいくかどうかは別にして、デパート呉服の売り場の新しい形として、今後の推移を見守りたいと思います。

色留か訪問着か?

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過日の即位礼正殿の儀に際して、安倍首相夫人が洋装でしかもスカート丈が短めだったとかもあって、かなりバッシングされていました。

ドレス誂えた人は儀礼に反していないと強弁していましたが、まあお粗末な話だと思います。
本人は周りがほとんどキモノだろうからわざと洋服にして目立ちたかったのでしょうが、
みんながきちんとするときにはそのようにするのが大人です。

傾く(かぶく)つもりが、大外れで大バッシングされたという事でしょう。。

キモノに関して言えば、こういう場では色留が最適という通念がありましたが、それに反することをするというのはある意味勇気のいることです。
情けないほど教養が無いので自らの姿の違和感がわからなかったのでしょう。

饗宴の儀ではキモノを着ていたようですが、色留ではなくて訪問着でした。
それも付け下げの姉さん程度の軽いもので、自分の地位から言っても色留であるべきですしそれも最高レベルのものをそ着るのが常識です。
今回のキモノの加工度は低く、私どもにはやや違和感がありましたね。

製作する側も色留の方が良いのではないかとアドバイスすべきでしょうが、あるいはされても言うことを聞かなかったという事なのかもしれません。


伝統文化を如何にして次の世代に伝えていくかというのは、この国が紡いできた歴史や文化を知っていてこそできる業です。

政治家や官僚の無芸大食無教養状態は輪をかけて進行中です。

学術、芸術、伝統文化などに対する予算を削ろうという国はそうはありません。
そういう発想が出ること自体が教養の無さを物語っています。

今一度芭蕉の唱えた 不易流行という言葉をかみしめて欲しいものです。

華燭の典のキモノ

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22日の正殿の儀では、泰三のキモノをお召しになった方が数名は最低おられましたが、こうしたお祝いの席にお召し頂くキモノを意識して先代以来心を込めておつくりしてきたわけですから、いつも宮中晩餐会などもそうですが、それなりの方々がそれなりの席でお召し頂くことは作り手として幸せです。

こうした華燭の典でもドレスコードは決まっているのに、今回も一番守らなければいけない人がとんでもない姿をしていて問題になっていました。

キモノは世界に冠たる服飾文化でありたる、あらゆるシーンに対応するように多種多様なモノづくりをしてまいりましたし、晴れの席から褻の席まで幅広い着用ができます。

こんな民族衣装は世界でも日本のキモノだけではないでしょうか。

我々はその晴れの席の部分を担当していますが、もちろん褻の席、つまりカジュアルなものを得意にする人合ってこそ、この文化は成立しています。

ところが近年その一番大事な晴れの席でのキモノ需要が大きく落ち込み生産寿の大問題です。
昨日お召し頂いている色留などももう大分過去におつくりしているものですが、いまだに役にたっておりますし、その分新規の需要が減っていくのもやむを得ないのかもしれませんが、買える余裕のある人までが貸衣装ですまそうという事になり始めていて何とも頭の痛い話です。

でもやはりそれでもいいものを求めたいという人は確実におられますので、生産が可能な間には作っておかねばという思いは募ります。

先日キモノは所詮普段着だからどんな風に着てもいいだろうというようなコメントが来ましたが、可愛そうな人だと思っています。まだ時々そんなこと言う人がいますが、服飾である限り綺麗に着ようというのは当然ですし、席によってメリハリ付けて着るのは、洋服でも同じです。まあどうぞご勝手にということですが、きっと自分ではキモノを着ない人なのかなと思ってしまいます。

キモノが好きで、キモノを着る背景の文化を愛で、それによって何をどう着ようかと思うのが楽しいのですがね。

悉皆屋の苦悩

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昨日今日と、手描き友禅を扱う京都工芸染匠協同組合の作品展が開催され、私も退院後の体を慣らすために行ってまいりました。

知人も多いので色々な話をして来ましたが、年々歳々彼らの苦悩は増すばかりで、その心情は手に取るようにわかります。

今は染匠などといいますが、通称は手描き友禅を扱う悉皆屋の集団が工芸染匠で、

色々な技法をそれぞれ得意とするような彼らが、製造問屋から預かった生地で専属の職人による様々な加工をしてキモノに作り上げ、問屋に納めて加工賃を得るというのが元来の本業で、在庫を持たず比較的リスクの小さい職種です。

ただ彼らが多くの手描き友禅の職人を守ることになり、彼らがいないと本物の手描き友禅作品も作れません。

製造問屋とは口で言っていても、彼らの存在無くしては成り立たないのです。

かつては作れば売れるという時代もあって、問屋も活発に染出しをするので、悉皆屋も忙しく、職人さんにも山ほど仕事が入っていて、みんながwinwinの関係でした。

ところが現在京友禅の手描きで作る点数は、最盛期のたった0.3%しかなく、問屋の染出しも激減し、悉皆屋は職人さんに仕事が出せなくて、そのままでは面倒が見られません。

それでは職人さんは食っていけないので辞めてしまいます。

それで致し方なく自分で白生地を仕入れて、自ら作品を作ります。

こういうことを生地を潰すと言いますが、これが当たり前になってくると、作ってもそうは売れないので在庫ができ、お金が寝ます。

頑張れば頑張るほどお金が足りないから、家を担保にして金を借りてやらざるを得なくなります。

作っても売る手段を持たないので、結局問屋に頼ることになると、問屋は染出しをしないで、悉皆屋の持つ在庫を利用しようとします。

こうなるともはや悉皆屋ではなく潰し屋です。

売るために直接小売り屋の展示会でコーナーを貰って自分で販売に出ているようなところもありますが、なかなか厳しいようです。

最近父が営んでいる悉皆屋を継いでも良いという奇特な若者も散見し、それは大変喜ばしいのですが、問題は職人さんの高齢化と後継者難で、いずれ物理的に作れなくなる時がやってきます。
これをどうするのかそれぞれが知恵を出して頑張っているとはいえ、キモノが売れなければ色々な絵は描けません。

リサイクル市場で過去のいい仕事をしていたころのものがどんどん出回り始めると、益々販売上厳しい事態となります。

悉皆屋がいないとモノづくりができないこともわかってはいながらその面倒を見てやろうという問屋も極めて少なく、ほとんどのリスクを被せようという事では早晩終焉が見えてきます。

泰三は元来製造問屋でしたが悉皆屋を使わず、専属の職人さんたちでものづくりをしてきましたが、京都ではこうしたフルリスクでものづくりをする問屋はほぼ皆無に近いのです。

そして私は近年流通も改革して、卸先の小売店などを飛び越えて消費者に訴えたので、

それが功を奏して高級なものを作り続けてこれたのです。

ですから売れないで呻吟する今の悉皆屋も直接消費者に販売するという事を模索していますが、現実は色々な知識にも乏しく上手くいかないようです。


なぜこれほどまでに販売が落ちてしまったかということは再三再四述べていますが、悉皆屋もNCのろくでもない催事でひどい売り方をしてきたところもあり、所詮は自分たちで売れなくしてきたという側面があることを忘れてはいけません。

ただただ売りたいがために小売りをしても必ず失敗します。

初心に還り自らの文化力を高めるようもっと勉強をしてほしいというのが私の偽らざる思いなのです。

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