消費者セール

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過日書いた店外催事と同じようなものなのですが、消費者セールという業界用語があります。
これは基本的に問屋が会場を設営し、取引のある小売屋やデパートにお客を連れて来てもらって販売するものです。

小売店自らがその会場で販売する者もいますが、派遣の女性任せで横から見ているだけという情けないところも少なくありません。

キモノを買うという目的だけではなかなか集客できないから、歌舞伎や料亭、観光などに招待という付録がついている場合が多いのです。
まあ結局はお客が払わされているような価格設定になっているものが多いのですがね。

普段地方の小売店やデパートにはろくでもないモノしか置いていないから、そういうときの方がましなモノがあるということはまんざら嘘ではありません。

買取をしない小売り屋、デパートに新しい上物が並ぶことはありません。リスクを張って欲しいと言ってもそんな恐ろしいことを言ってくれるな等というようなことを言う小売店も多く、どうしようもない業界に成り下がり、デパートの社員などは無能のくせに問屋に上から目線の輩が多いのです。

私なら怒鳴りつけてやりますがね。

しばらく買い手市場でしたが、これからは潤沢に品物を提供できるかどうかがカギですので、問屋に偉そうにするところなどスポイルされますな。それに気が付かないようなアホには言ってやらないと分かりません。

ところでこうした消費者セールは会場設営費や色々な経費も場所によっては相当大きなものとなることもあるのと、前払いで払わなければなりませんので、やればやるほど自分の首を絞めることになりかねません。

ある老舗問屋が毎月のように開催しているという話を聞くと、まさに断末魔的様相だとしか思えません。
そうでもしないと売れないと言いますが、そうではなく売れるものを作っていないということだと思いますね。より多くの消費者の声を聞こうとしないような企業に未来はありません。
こんな売り方をしないでも、お客様が本当に買いたいと思わせるものを置くことができれば、いわゆる店売りで十二分に経営できると信じています。
現に私が続けてこれたのはそうだったからではないでしょうか。

消費者セールで買うと言ってサービスだけ供与しながらクーリングオフする猛者もおられるようですが、どちらにしろ本来の売り方からはドンドン逸脱しているようにしか思えません。
独自の個性ある品ぞろえを訴えていくこと、店としての個性、オリジナリティの確立が生き残るすべです。
そのために自分の感性を磨き個性を確立するための勉強を続けることが基本であり、私自身もこの年となっても美術館や画廊を覗いて啓発されています。

キモノ業界に携わるものが自ら向上することこそが消費者のためであり、キモノ文化の維持継承の源となるのではないでしょうか。


NCの店外催事

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私はこのブログを書くことで、どこ出来るのか分からない用途のはっきりした雑巾にも劣るくだらないキモノをとんでもない値で買わされることを避けられるよう、業界人しか分からないような真実も書いてきたつもりです。

しかしながら相も変わらずカス着付けチェーン店やゴミ屑NCのとんでもない商いは止まることがなく、キモノ初心者がその毒牙に掛かっているのが現実です。

かつて私が若い頃は専門店が元気で、チェーン店というような存在はありませんでした。

しかし昭和50年代に入ってキモノを着る人がドンドン減り始め、冠婚葬祭としてのキモノ需要は堅調でも、普段着としてのキモノの需要が急激に減り始め、市場規模が縮小し始めました。
それまでの作れば売れるという時代が終わり、買い手市場となって、売り上げを確保するために問屋が取った手が最悪でした。

それまでは問屋では小売屋が買い取りをするのが当たり前で、足りない分を委託していましたが、小さくなったパイのぶんどり合戦で、買い取りしなくても良いから客を連れてきてくれれば倍の利益を上げますとうことを始めたところが有り、これを消費者セールと称して、今も当たり前のように小売屋が問屋の設営した会場に客を連れて行き買わせると言うことが恒常化しています。芝居のチケットや旅行などいわゆる付録付き販売となっていますが、まあ結局買う人にそのつけが回るようになっています。

そうしたことが当たり前のようにどの問屋もやり始め、真面目に買い取りをしていた小売屋が馬鹿を見るという結果となり、商いの常道からドンドン外れ始めていきました。
それだけ室町の問屋は超無能だったと言うことです。
それ以降まるで詐欺のような一円振袖商法だとかモデル商法だとか、デート商法だとか屑商いが横行し始めたものです。
しかし結局そうした商いにのめり込んだ問屋は、次々と破産しましたね。

本当に室町の問屋はアホと馬鹿と無能の巣窟だと思ったものです。

ところがそういう商いに乗る努力しない専門店もドンドン倒産し始めたり、キモノが好きでもないで継いだような根性のない後継者の専門店が親が死んだらさっさと廃業したりで、焦った問屋は、当時台頭し始めたチェーン店を応援し始めました。

店舗数をたくさん持つチェーン店と取引すると、一挙に何十店舗もの得意先を持つのと同じことで、非常に効率が良いわけです。

チェーン店は当時ドンドンできはじめた駅ビルやスーパーマーケットなどに出店し、入りやすい店構えなので、初心者がつい覗いてみようと立ち寄ります。

その店頭でひどい売り方をするところもありますが、総じて中級品以下のものしか置いていませんから出ようとすると、今度店外で催事があってその時にしか見られない素晴らしいお品が並びますので見るだけで良いから是非来て欲しいなどと言って名前と住所を書かせます。

チェーン店は経費も馬鹿にならないですから、大きな商いがやはり必要です。本来は個々の店が独立採算制で経営できれば良いのですがほとんどが無能の店員で出来るわけもなく、店外催事に客を誘導し、網を掛けて一挙に大きな商いをしようという手法がだんだん恒常化します。

会場に行くと、色々なキモノや帯が展示されていて、確かに普段は見られないようなものが山ほどあります。
各コーナーには派遣の女性が控えていて、社員はそこへ客を連れて行くだけで、販売はそうした女子が手八丁口八丁で口から出任せの嘘八百(まあ本当は何も知らない輩が多いのでほとんど自分の言うことが嘘かどうかも分からないのですが)で何とか売りつけようと必死になります。
あまりにしつこいので辞めようとすると、こんな素晴らしいモノが並ぶのはこんかいしかないだとか、キモノは出会いだとか、ローンを組めばこんなにお値打ちに買えるだとか、まあしつこいことこのうえなく、根負けして買う人もいますね。

ところがこうしたNCの店外催事が諸悪の根源です。

大きな会場を借りるので当然ですが経費も相当なモノですし、当然大きな粗利益がないとやっていけません。

聞いたことも見たこともないような作家と称するような連中のものも、ほとんどは問屋を通しての販売となりますが、大体問屋の出し値の少ないところで4倍、ひどいところでは6倍モノ値付けをしています。すべて委託にもかかわらずです。小物でも普通の専門店より遙かに高い値付けをしています。

こうした馬鹿な商いが平気で行われているのは、一つには消費者が初心者で無知なことがありますが、一番問題なのは、そういう商いを結局推進している問屋の不見識です。

キモノをただのモノとしか捉えられない下品な商いを平気でする問屋の社員などは論外ですが、キモノを好きでもなく、和文化の素養等まさにゼロの社長などを嫌というほど見てきましたが、先人から引き継いだキモノ文化を冒涜するまさにカスです。

こうしたNCの店外催事には確かにそういうときしか出てこないろくでもない輩が、たむろしています。

NCが仮に5倍付けるなら、問屋は作り手から借りて最低倍付けますからそこだけで10倍です。作り手が経費を掛けて自らそうした催事に売りに来ているわけですから、相当原価を抑えないとやっていけないと言うことになり、当然ながらペラペラの生地にインクジェットで作ったようなものが氾濫します。

かつては高額なローンが組めたので、まともなモノも出てきたのですがあまりにもひどい詐欺的売り方をするNCのために自殺者までが出るような事態となって、高額なローンを組むことが難しくなり、購買単価が下がったために、減価逆算方式で物作りをするようになって、とんでもない安物が平気で市場に出てくるようになってきました。

普段キモノの市場に流通しているモノは、大体の相場があるので、こうした催事では値段を化けさせることが出来ないので、一般的には有名でない、そんなときだけに出てくる輩がそうした催事で全国にくっついていくのです。

本当にひどいキモノですが、それでもかつてはかなりの商いをして儲けていた者がいます。消費者の無知も極まれりと嘆いたモノですが、さすがに近年はそうしたNCの商いの本質が見え始め、ここのところ売り上げが急減しているところも多く、このままでは相当経営が厳しいだろうという所も見え始めています。

消費者を欺き、結果的に消費者が後で嘆くような商いに未来はないのですが、地方などは専門店の退潮が著しいので、こうしたチェーン店がつい次へ閉店して行くたびに、消費者が買える場所がドンドン無くなっています。

特に上物を探す人にとっては大変困られることとなっています。

NCがビジネスモデルを変えて、良質なモノをリーズナブルに販売できるようになってくれれば、いわゆる産地にも貢献できるでしょうが、今のような超安物をとんでもない値をとんでもない値で売りつけるというような全物販業種中最低最悪の商いを続けるかぎりこのキモノ文化の低質化はかぎりなく、多くの技も消失するかと思うと残念で堪りません。

まあどちらにしろ、チェーン店などの店外催事には行かないことにこしたことはありませんね。

きものサミット

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地元の京都新聞に「きものサミット」の開催のことと、それに関連してキモノ業界の3人の人にインタビューした記事が載っていました。

きものサミットは稲盛さんの提唱で始まったことで、各産地や問屋、小売屋などの団体の長などが一堂に介して、キモノ文化を取り巻く諸問題について話し合おうということで1997年に始まったと聞いています。

私自身は組合活動もしていませんし、ひたすら父からの遺業を続けること、そのこと自身がきもの文化の維持継承に貢献できるという信念で頑張ってきたつもりです。

きものサミットはこの9月に第16回目が久しぶりに京都で開催されることになっているようです。

しかし過去15回話し合いをしていったい何が変ったでしょうか。

私には良く分かりませんが、少なくとも産地状況は一段と厳しく、職人さんの高齢化は進むばかりで、企業も人も次々と減って行きます。

友禅や帯の生産が最盛期の2~3%等という状況では後継者の育成どころではありませんし、仕事も一向増えるどころか減る一方で、レンタル衣装向けのポリエステルも含めた安価な粗悪なモノの生産ばかりが全体の6割以上ともなっており、まさに本物の生産の危機です。
と言うこともずっと私は唱えていたのですが、いよいよ現実の物となりつつ有り、材料の劣化なども顕在化し始めています。

なぜ全国から業者が集まって話し合っても、何も解決できるどころか、衰退の一途となっているのか。

何か根本が間違っているのです。

私が製造小売り型経営を開拓して18年、社会環境も大きく変わり、人心にも大きな影響を与えているように思いますし、キモノを取り巻く種々の伝統文化の維持継承も大きな問題となって参りました。

ただ近年、子育てを離れた主婦、あるいは社会で活躍する女性たちが、歌舞伎鑑賞など日本伝統文化に触れることで、忙しい日々から解放されたり心の平安を保ちたいと思われている方も少なくありません。そしてその延長上にキモノを着てそうした文化を目出度いと思われ、キモノを現実に着る人は東京では確実に増えていることを感じます。

当初は嫁入りで持たされたキモノや、母や祖母や頂いたもの、そしてリサイクルなどでお召しになって見て、だんだん慣れてくると、やはり自分のキモノが欲しくなってくるのは当然です。
近年はかなりの可処分所得を持った社会で活躍する女性も都市部では多く、キモノを買う気でまずは、デパートなどに行かれるのですが、彼女たちが求めるモノがほとんど理解できない販売員ばかりですし、特選にいる連中はとりあえず金を持っている人を如何にたぶらかすかばかりで、100万円以上のキモノや帯を求めない人には知らん顔している屑ばかりです。
今時キモノを買いたいと思う人達は共通して、あまり重い柄の凄いモノは要らない、かといって、安物ではなくて、上質で上品で飽きの来ないあっさりした柄行きのモノで、基本は伝統的な文様などを使った奇を衒わないキモノを求められているのです。

紋を一つ入れておいてちょっとしたお祝い事にも着られる様な、用途の広いもの、と言うことですから、付け下げや訪問着の軽めのものと言うことになるわけですが、いざ探されると意外とありそうでないのです。

デパートに行かれてもそうしたセンスを訴えていませんし、やたらごちゃごちゃしていて値段が高いものが多いというのは本当です。

安いモノは生地も悪く仕事も低級です。

本友禅で仕立て上がって50万円前後ならその方たちはすぐにでもお買いになれる所得はお持ちのように見えます。

金額もそうですが、売り手のセンス、知識なども当然重要なファクターで、学識のある女性が買いに行かれて満足されるような受け答えの出来るような販売員も、またほとんどいないと言うことですから、買いたいけれど買いたいものがないというまことにもったいない状況だと私は思ってます。

さんざんネットで探されて当店に来られた方は、私が近年提案してきたキモノがまさにそういう女性たちの望むモノですので、今回でも初めて来られて私をご信頼いただいてそうしたモノを中心にお買い上げ頂いております。

キモノを着る人が増えてきた、買いたいと思う人も増えてきた、にもかかわらずそうした人達が望むモノがない、安心して買える店がないという、消費者目線のない、すなわち不勉強は甚だしく、まさにもったいないの一言です。

キモノは高いから売れないなどと言う人がこの業界でも多いですし、10万円以下のポリエステルのキモノなどで裾野を広げよう、キモノのアパレル化などと呆れたことを広言している男も居ますが、まさに女心が分かっていないのと、茶道も含めた日本文化の素養が全くなく自分の普段の商いが低レベルなので、今申し上げた女性たちの声が聞こえないのです。
自らの文化力を鍛えておかないと、そういう声がアンテナに掛かりません。

産地状況を救うためには変に安物を作るのではなく、良質なリーズナブルな価格の本物を作ること、売ることだと私は耳にたこができる程申し上げているのですがね。

今度のきものサミットの主要議題が、商慣行の是正だとか成人が18才になったときに、成人式をどうするかとか、まったく根本的な問題を話し合うともしません。

口では大きなことを言う男、正論を吐く男も居ますがそうじて言行不一致です。

こんなことで時間を潰さないで、正義のある商いを自ら目指すこと、それに尽きるのです。
売れないのは景気が悪いだとか人のせいにしないで、店主自らが一生懸命働くところしか生き残れないでしょうね。

いよいよあと3ヶ月です

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7月31日の閉店まで後3ヶ月となりました。

2月からセール状態に入りましたが、次々と新しいお客様がおいでになります。

ほとんどすべての方がこのブログを読まれていたとのことで、閉店と知って、1度は行っておかねばと思っておいでになり、手の届かない店ではない事を知って、もっと早く来るべきだったと言われています。

まあ有り難いことですが、確かにもっと早くお見え頂いていれば、もっと多くの作品をご覧いただけたと思いますし、少し心残りではあります。

後たった3ヶ月しかありませんが、皆様のお役に立てるよう精一杯お勤めいたします。

ところで今日お客様の注文で問屋に行ったのですが、私の目で見て良いなと思うものは本当に減りましたね。特に上物ほどありません。

つまりメーカーが作っていないと言うことでしょう。

高級な物の需要が激減している中で、材料費も含めコストが上がっている物を金と時間を掛けて作っていくことは非常なリスクですし、頑張ると金がなくなってまた借金と言うこと構造は避けるのは当たり前です。

誂えならなんとかつくれると思いますので、小売店は是非とも誂えを取る努力をして欲しいのですが、当然ですがそれには作るための知識や感性が必要です。

そういう勉強をしていないデパートやNCの販売員ではとても無理ですから、専門店の出番です。
いわば物を売る人間はそのキモノや帯がどのようにして作られていくかということを最低勉強しておかねばなりませんし、その知識を販売に行かして欲しいモノです。

どうしたら集客できるとか、販売のテクニックしか考えないようでは行き詰まります。

まずは店の品揃えであり、品物への豊富な知識、着る場所のご相談や提案などが肝心なことは言うまでもありません。

モノづくりのパワーが衰退していくと言うことは、売る人にとってもピンチです。
作り手に夢を与えるような売り手の存在が不可欠です。

まあ残り物でも何でもよければ10年分くらいの品物は市中にありそうですがね。

あと3ヶ月で閉店となるわけで、色々な思い出が走馬燈のように頭を駆け巡ります。

51才から69才までの男として大事な時期に大変難しいことにチャレンジし続けてきた結果、公私ともに大変なことがありながらも絶え続けてこられたことに今更ながらに支えて頂いた方々に感謝申し上げます。

現在閉店までセール状態を続けておりますが、京都の店の方にもこの連休中にも遠方から来客があり有り難いことでございます。

遅れていた新しい家の建築もいよいよ始まり、秋には完成しまた新たな家の歴史を刻み始めることになります。

先代からの物作りを継承するために始めた製造小売り型経営も、店を構えての形は終わりますが、少し落ち着いたらまた改めて考えて見ます。

お誂えならさせて頂けますが、ただ高度な技を駆使するキモノづくりは、最高品質をかなり近い将来保証できなくなりますので、ぎりぎり今のうちかと思います。

今日の新聞に叙勲者の報道がありましたが、かつては春と秋の叙勲、褒章のころには相当多くの色留袖の注文が舞い込んだものでしたし、今も変らぬ状況なら、つまりそうした需要が間断なくあれば後継者の育成も可能だったかも知れませんが、今更言ってもせんないことで、最近ではほとんど貸衣装で平気で行かれますし、逆に買うつもりで良い色留を探すことが大変です。

私が若ければ、多分間違いなく最高級レンタル業に踏み出していたと思います。

実際現在ある作品をそのようにしてみようかと思ったこともありますが、業界が違いますし、それなりのノウハウを得るためには勉強しなければと思いますね。

昨年度の手描き友禅の留袖の生産数はたった800点くらいで、下がり続けています。

私の若い頃一番生産の多かったものが留袖だったことを思うと隔世の思いです。

そのうち新しい黒留袖や色留袖をお買いになろうという方もほとんど無くなってしまうのではないかと危惧されます。

人生の各ステージで要求されたキモノが、いずれほとんど貸衣装で、写真を撮るだけと言うことになるかも知れません。

宮参り、七五三、十三参り、成人式、結婚式などなどが、すべて思い出の写真だけでおしまいになっていくのでしょうか。

その家の歴史や伝統を伝えて行くのに最良のキモノが家に無くなってしまうのでしょうね。

我々の世代から言えば情けないですが、今の人達には何でも無いということでしょう。
お金があるとか無いとかと言う問題とは別の話のようです。

日本が変ってしまったということですが、それで良いのか悪いのかは、これからの人の判断です。
私は個人的にはそうした一張羅の考え方を伝えるつもりではありますが、なかなかの難問かも知れません。

服飾文化はあくまで家庭教育、育った環境に関係があります。核家族化が進行し、親が伝統文化を知らないのが当たり前のような国となって久しく、その中で、先人から引き継いできた伝統を伝えていくのは至難の業ともいえます。

私はいま娘一家と同居していますので、3歳の上の孫は私が散歩に連れて行っていつの間にかお寺に来ると手を合わせて頭を垂れますし、神社では2礼2拍手1礼が出来るようになりましたし、墓参りに連れて行くと、花を挿したり、水を掛けたり手伝ってくれます。

かつては同居が当たり前だったのが今は別居が常識ですし、そのことが家の文化を断絶させてしまったとうことです。

物知りのジージーやバーバーの活躍する余地がなくなっていますが、幸いにも当家は、それが可能と言うことで、生きている間に孫にできる限りのことを伝えて行きたいと思うこの頃です。

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